フために何を思い何をなしつつあるか」が多く叫ばれてすくなく行われ、都会と農村、工業と農業のあいだに救うべからざる不具の谷が横たわり、物々交換がその「新経済政策」であり、「教育」はみんな階級戦士の養成であり、無産独裁がいつしか共産党独裁となり、これがこんどはスタアリン独裁と自然化し、「共産党員にあらずんば人にあらず」であり、新選組ゲイ・ペイ・ウは人ふるれば人を斬り馬触るれば馬を斬り、あたらしい皮ぶくろに原始的な英雄政治が盛られ、民は知らされずして凭《もた》らせられ、イワンは破れ靴とから[#「から」に傍点]の胃の腑で劇と文学を論じ、よごれた毛糸の襟巻をしたナタアシャが朝風を蹴って東洋美術の講義を聴きに大学へいそぎ、イワンの父親は辻馬車《イズボシク》のうえで青空へ向って欠伸《あくび》をし、ナタアシャの母はそっ[#「そっ」に傍点]と聖像をとり出して狂的な接吻を盗み、物資欠乏の背の重い「友達《タワリシチ》」たちが、うなだれるかわりに理想を白眼《にらん》で昂々然と鋪道を闊歩し、男も女も子供も犬も街上に書物を抱え、私有財産を認めない掏摸《すり》がその本を狙って尾行をつづけ、お寺の金色塔に赤旗がはためき、レニンの尊像に空腹が十字を切り、それらを包んでプリズムのように遠近のはっきりする空気、曲りくねった道路、前のめりの古い建築物と、電車にぶら下がる|親なし児《ベスプリゾウルヌイ》の大群――莫斯科《モスコウ》は近代のチベットである。
その悩みと望みと、クレムリン宮殿の外壁と劇場広場《テアトラリヌイ・プロシヤト》の鳩とに、資本家のない国はあたらしいダイナモのような力と、生硬と、自己期待と、宗教的感激とをもって沈黙のうちに運転している。
この、地球赤化を使命とする第三インタナショナルのお膝もと、世界じゅうの謎と恐怖の城下に、一九二八年の初夏、ふたりの極東の巡礼が靴の紐をむすび直した。
つぎは彼らの莫斯科《モスコウ》日記である。
第一日。
|新しい寺院《フラム・スパシイチラ》の屋根が、灰色の家の海の上へ、陽を受けてぴかぴか光って、線路にそって大都会の場末らしいごみごみした景色が展開し出した。と思ったらモスコウだった。ばかに好《い》いお天気で、ばかに寒い。波蘭《ポウランド》国境へ直行の人はここで乗りかえてきょうの午後アレキサンダア停車場から出発するんだが、私たちは、さいわい今この莫斯
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