sハルビン》はやはり根気のいい植物のように、じいっと何かを待って展開している。
グランド・ホテル――格蘭得火太立《グランド・ホテル》旅館という物々しい支那語の看板をかかげたホテルに、私たちは宿をとっているのだ。三階の自室の窓に立つと、大陸の気層は魔術的だ、けさ着いた停車場《ワグザル》の建物をすぐ眼のまえに見せて、鬱金《うこん》木綿の筒っぽのどてら[#「どてら」に傍点]のようなものに尨大な毛の帽子を載《いただ》いた支那人の御者が、車輪から車体から座席、馬にいたるまで土とほこりに汚れきった一頭立ての軽馬車を雑然とかためて、高粱《こうりゃん》の鞭《むち》を鳴らして何か大声に罵りあいながら客待ちしているのが、遠く噪《さわ》がしいだけにうつろに眺められる。ホテルの玄関の両側には、満洲人の果物売りが朝早くからずらり[#「ずらり」に傍点]と歩道に荷をおろして、商売に関係なく暗くなるまで居眠りしている。たまに上海|蜜柑《みかん》の一つも売れようものなら、われながら不審げにきょとん[#「きょとん」に傍点]とするが、すぐに忘れてまた眠り出す。そうして襟《えり》へしみる夕風に急に驚いたように籠を片づけて、何人も何人も薄あかりのなかを連れ立って帰って行くのだ。
おちぶれた貴族が、猥雑な現在の生活においても、なおかつ過ぎ去った豪奢と栄誉を忘れ得ずに、いつか再び同じ日のまわってくることを固く信じてその望みにのみ生きている――といった|ものの哀れ《パセティック》なこころは、ハルビンとハルビンらしいすべての姿に胸を打って感じられる。この格蘭得火太立《グランド・ホテル》旅館がそうだ。その入口にはセゾンの終った歌劇の広告が老プリマドンナの白粉《おしろい》みたいに剥《は》げかかっていても、ちりめん紙を巻いたごむ[#「ごむ」に傍点]の木の鉢のかげには、確《たしか》に玄関番《ドアマン》の制服が金ぼたんを光らせているし、安物の絨毯《じゅうたん》は旅行者の踵《かかと》に踏みやぶられようとも、その大広間は赤の一色で装飾され、ジョニイ・ウォカアの広告油絵と、東支鉄道の灰皿と、大阪製の巨大な花瓶とを宝物のごとくに安置し、一九二四年度の加奈陀《カナダ》太平洋会社汽船案内と近着の巴里《パリー》雑誌ラ・ヴィ・パリジャンヌとが、隣り合わせにきちん[#「きちん」に傍点]と揃えてあり、食堂は、肥満せる猶太《ユダヤ》系|独逸《
前へ
次へ
全32ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
谷 譲次 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング