たんでさあ。」

     8

 お母さんがよく拵《こしら》えてくだすったあの甘《おい》しいプディング――That sweet pudding mother used to make――という言葉を夫の口から聞くことは、あめりかの新婦人が、ひとしく胸を痛めることになっている。夫の方から言えば、これがまた何よりの嫌がらせ文句だ。
 あの、新婚の夢がさめて、お互いが白っちゃけた眼で観察しだす一時的|倦怠《けんたい》の時代に、夫が妻の丹精になる晩餐《ばんさん》の席で、デザアトのプディングをまずそうに口へ運びながら、ふと述懐めいた眼を遠くへ走らせて意地悪く呟くのが、この「お母さんがよくこしらえて下すったあの甘しいプディング――あれはこうじゃなかった。もっとこう、なんとなく違っていたよ」のいいぐさにきまっている。
 これにはどのお嫁さんも口惜《くや》しがらせられると見えて、そこで始まる。
「ええ、どうせあなたのお母さんのようにはいきませんわ。けれど、どんな風にちがうんでしょう? 参考のためにおっしゃって下さいな。」
「どうって――曰く言いがたしさ。ああ、あのよくお母さんが拵えて下すったおいしいプディング!」
 悲憤の涙にくれた夫人は、ああでもないこうでもないと、お料理の本を引っくりかえしたすえ、これならばという自信をもって、またプディングを食膳へ上すと、夫がかならず横を向いて、
 良人「お母さんがよく拵えて下すったあの甘しいプディング――あれはこうじゃなかった。」
 いよいよ柳眉《りゅうび》を逆立てた夫人は夫の留守にそっ[#「そっ」に傍点]と彼の生家へ立ち寄って、母なる人に懇請し、かれのいわゆる「あのおいしいプディング」なるものを拵えてもらって、そばに立ってその製法を実地に見学してみたが、自分のやり方となんらの変りなく、そのできあがったところも変哲のない世の普通のプディングにすぎない。が、それを持って来て、こっそりその日の夕飯後に供すると、良人、二口三くち食べたかと思うと、たちまち不味《まず》そうに匙《さじ》を捨てて、
「AH!――お母さんがよく拵えて下すったあの甘しいプディング! あいつはどことなく違っていたよ。」
 妻「まあ――。」
 このとおり、舅《しゅうと》姑《しゅうとめ》のないアメリカには、そのかわりに「お母さんのプディング」によって、若いお嫁さんは紅涙をしぼらせられなければならないことになっている。

     9

 とにかく、あめりかの空気は明るい魔術だ。一種の同化力をもっている。子供にすぐ反応する。行って一月も経たない子供が、喧嘩する時にもう日本人のように手を挙げずに、すぐ拳闘の構えで向って来る。それはいいが、一ばん始末のわるいのが、ちょいと形だけアメリカ化《ナイズ》しかかった欧州移民の若い連中だ。きざ[#「きざ」に傍点]な服装《なり》にてにをは[#「てにをは」に傍点]を忘れた英語を操って得とくとしている。あるとき僕が、日本人のH君と公園のベンチに腰をかけて、何か日本語で話し込んでいたら、こんなのが十四、五人集って来て、
「おい、支那人、アメリカにいる間は英語で話せよ。」
 ここにおいてかM大学弁論科首席のH君、歯切れのいい英語で一場の訓戒を試みて、やつらをあっ[#「あっ」に傍点]と言わしたのだが、そのときは僕も愉快だった。この民族的な痛快感というものは一種壮烈な気分である。が、それはそうと、外来移民の子弟と黒人とユダヤ人の問題をどう処置するか――これが今後のアメリカにおける見物だ。



底本:「日本の名随筆 別巻31 留学」作品社
   1993(平成5)年9月25日第1刷発行
底本の親本:「一人三人全集 第四巻」河出書房新社
   1970(昭和45)年3月
入力:土屋隆
校正:noriko saito
2008年1月25日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全4ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
谷 譲次 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング