字で書いた漫画
谷譲次

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)長閑《のどか》な

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)喧嘩ずきな|アイルランド人《アイリッシ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)ひねもす[#「ひねもす」に傍点]
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     1

 あめりか街上風景。
 HOBOなる一個の非職業的職業に従事している尊敬すべき二紳士が、町角の煙草屋の前で日向ぼっこをしながら、ひねもす何ごとか議論し合っている。
 忙しい都会の執務時間にあって、それはいかにもひねもす[#「ひねもす」に傍点]といった長閑《のどか》な図。
 このエッチ・オウ・ビイ・オウ――ホボ。
 主として、呑気《のんき》で喧嘩ずきな|アイルランド人《アイリッシ》が専門とする一種の哲学的浮浪人。楽天家。饒舌家。慷慨家。資本主義を呪う者、呪わないまでも、はじめから降参しているもの、家系を重んずる人、おもんじない人、固いカラーとかたい仕事の嫌いな者、――等すべてこれに属す。
 仕事――しゃべるほか何もしない。
 特徴は。
 第一。鼻が赤い。
 第二。すでに紳士だから世のつねの紳士のごとく、いかに身に粗服をまとうとも靴の先だけは木賃宿の寝布《シーツ》で拭いて光らせている。
 第三。四季を通じて山高帽使用のこと。
 第四。噛みつく犬と噛みつかない犬とを一瞥して見わける技能。
 それも田舎まわりのホボとなると、自然を愛好したり、農繁期に麦をむしったり、裏口から覗いて一食にありついて、その代りに薪《たきぎ》を割ったり、毛布一つで農村労働者に「自覚」と「団結」を促して歩いたり、鶏《とり》を盗んだり山火事を起したり、貨物列車にぶら下って旅行したり、これを要するにたいして悪いことはしないが、それでは都会のホボは何かよくないことをするのかというと、これもべつに害毒を流すというわけではなく、まずせいぜい悪事を働いたところで、通行人からマッチを借り、ついでに煙草を貰い、そしてもし相手が東洋人だったら、ちょっとその機会を利用して人種的軽蔑を示すくらいだ。
 かえって、あめりか都市の添景人物として、なくてはならないのがこのホボ。
 で、ふたりのホボが、街角の煙草屋の前で、往来を見ながら議論している。
 A「おい、ジミイ、煙草はもうそれ一本しかないんだぜ。そんなに一人で喫わずに、いいかげんにこっちへも回せよ。」
 B「よし! そんなら賭《か》けをして、勝ったほうがしまいまで喫《の》むことにしよう――ほら、あそこに二人電車を待ってる女がいるだろう? あのなかの茶色の外套を着たほうが先きに電車に乗るか、それとも黒いほうがさきか、ひとつ賭けしようじゃないか――おれは茶色だ!」
 A「するとおれは黒をとるわけだな。」
 そのうちに電車が来て、黒の外套を着た女が素早く乗ってしまうと、遥かむこうの煙草屋のまえでは、一本の煙草が他へ移って、口の焼けるまで心ゆくばかり吸われるというわけ。
 何を決めるにも賭けだが、これはなにもホボにかぎったことはない。あめりか人は、幌馬車時代の冒険心がのこっているものか、天下国家の大事でも、日常の些事《さじ》でも、I'll bet. You bet your life. I'll match you でなくては、気がすまないとみえて――。
 共和党と民主党とどっちから大統領が出るかといっては、社交倶楽部では、百ドル千ドルの賭け。安アパアトメントの裏二階では一ドル二ドル。黒ん坊のボーイ仲間では五セント十セントの賭け。
 あした雨か晴れかというんで、夫婦のあいだに、細君は活動、夫は葉巻の賭け。
 二羽並んで止まっている雀のうち、左右どっちが先きに飛び立つかとあって、子供同士が二ペンスの賭け。
 デンプシイとタニイ、ベイブの安打数、市長の選挙、軍縮会議の成否はもとより、生れる子が男か女か、今度とおる自動車は偶数か奇数か、お前とおれがどっちがさきに死ぬか、彗星が見えるか見えないか――人間万事があめりかでは賭け・賭け・賭け。

     2

 人物。
 アプトン・シンクレアが十年一日のように揶揄《やゆ》しておかない「疲れたる事業家」の典型。経験と果断を示す白毛《しらが》まじりの髪。企業と大きく書かれた赭《あか》ら顔。しじゅう第五街仕立ての流行服を着ているんだが、いまは「事務所」から「郊外の家庭」へ帰って来たところだから、上着をぬいで、黒繻子《くろしゅす》に銀糸で縫いをしたスモウキング・ガウンを羽織っている。年齢五十二。道楽《ハピー》として金儲け。ゴルフ、ポウカア、金儲け。
 おなじくアプトン・シンクレアにからかわれつづけている「主婦」でない主婦の若い美夫人。午後のお茶と社交界の接見日とカントリイ倶楽部と「ヨーロッパの貴
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