人で喫わずに、いいかげんにこっちへも回せよ。」
B「よし! そんなら賭《か》けをして、勝ったほうがしまいまで喫《の》むことにしよう――ほら、あそこに二人電車を待ってる女がいるだろう? あのなかの茶色の外套を着たほうが先きに電車に乗るか、それとも黒いほうがさきか、ひとつ賭けしようじゃないか――おれは茶色だ!」
A「するとおれは黒をとるわけだな。」
そのうちに電車が来て、黒の外套を着た女が素早く乗ってしまうと、遥かむこうの煙草屋のまえでは、一本の煙草が他へ移って、口の焼けるまで心ゆくばかり吸われるというわけ。
何を決めるにも賭けだが、これはなにもホボにかぎったことはない。あめりか人は、幌馬車時代の冒険心がのこっているものか、天下国家の大事でも、日常の些事《さじ》でも、I'll bet. You bet your life. I'll match you でなくては、気がすまないとみえて――。
共和党と民主党とどっちから大統領が出るかといっては、社交倶楽部では、百ドル千ドルの賭け。安アパアトメントの裏二階では一ドル二ドル。黒ん坊のボーイ仲間では五セント十セントの賭け。
あした雨か晴れかというんで、夫婦のあいだに、細君は活動、夫は葉巻の賭け。
二羽並んで止まっている雀のうち、左右どっちが先きに飛び立つかとあって、子供同士が二ペンスの賭け。
デンプシイとタニイ、ベイブの安打数、市長の選挙、軍縮会議の成否はもとより、生れる子が男か女か、今度とおる自動車は偶数か奇数か、お前とおれがどっちがさきに死ぬか、彗星が見えるか見えないか――人間万事があめりかでは賭け・賭け・賭け。
2
人物。
アプトン・シンクレアが十年一日のように揶揄《やゆ》しておかない「疲れたる事業家」の典型。経験と果断を示す白毛《しらが》まじりの髪。企業と大きく書かれた赭《あか》ら顔。しじゅう第五街仕立ての流行服を着ているんだが、いまは「事務所」から「郊外の家庭」へ帰って来たところだから、上着をぬいで、黒繻子《くろしゅす》に銀糸で縫いをしたスモウキング・ガウンを羽織っている。年齢五十二。道楽《ハピー》として金儲け。ゴルフ、ポウカア、金儲け。
おなじくアプトン・シンクレアにからかわれつづけている「主婦」でない主婦の若い美夫人。午後のお茶と社交界の接見日とカントリイ倶楽部と「ヨーロッパの貴
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