仁丹ある? ひとふくろ。
安重根 (子供を無視して)この国家的思想を鼓吹《こすい》するために――。
子供 小父ちゃん! お母《っか》ちゃんがね、仁丹おくれって。お銭《ぜぜ》持って来たよ、これ。
安重根 (子供に)小父ちゃんは薬売りじゃないよ。さ、あっちへおいで――私はこの国家的思想を鼓吹するために煙秋《エンチュウ》、水青、許発浦、サムワクウ、アジミイなどこの近在の各地を遊説しているものでありますが、国権を回復するまでは、農業にまれ商業にまれ、おのおのその天賦の職業に精励して、いかなる労働も忍んで国家のために尽さなければならない。また場合によっては、戦争もしなければならないのであります。
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遠くから声がする。
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声 貞露! 貞露!――しようがないねえ。どこ行ったんだろう、洗濯物を持ったまんま。
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群集の中から、濡れた洗濯ものを持った女が逃げるように、塀にそって急ぎ足に去る。男の一人が見送る。
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男 おい。貞さん、今夜行く
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