てもいいんでしょうと思いましたけれど、これを持って来ましたの。
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手に持っている鏡を差し出す。
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安重根 あ、鏡ですね。
ニイナ 鏡ですねは心細いわ。さっきあなたが鏡がほしいようなことを言ってらしったから、これでも、家じゅう探して見つけて来たんですの。でも、こんな暗いところへ鏡を持って来てもしようがありませんわね。
安重根 いいんです。ここでいいんです。
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と鏡を受け取ろうとする。
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ニイナ (驚いて)まあ、安さん、その手はどうしたんですの。
安重根 手? 僕の手がどうかしていますか。
ニイナ どうかしていますかって、顫えてるじゃないの、そんなに。
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安重根はニイナへ背中を向けて、自分の手を凝視める。自嘲的に爆笑する。
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安重根 (手を見ながら)そうですかねえ。そんなに、そんなに顫えていますかねえ。はっはっは、こいつあお笑い草だ。
ニイナ 笑いごっちゃありませんわ。まるで中気病みですわ。水の容物《いれもの》を持たしたら、すっかりこぼしてしまいますわ。
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安重根はふっと沈思する。
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ニイナ (何事も知らぬ気に)あたしなんかにはいっこう解りませんけれど、それでも、いま安さんが立役者だということは、女の感というもので知れますわ。うちの曹道先なども、この間じゅうから、今日か明日かと安重根さんの来るのを待ったことと言ったら、そりゃあおかしいようでしたわ。
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安重根は手摺りに倚って空を仰いでいる。
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ニイナ そんなに持てている安さんじゃあないの。何をくよくよしているんでしょう。ねえ、安さん、そんなことでは――。
安重根 (どきりとして顔を上げて、鋭く)何です。
ニイナ まあ、なんて怖《こわ》い顔! そんなことでは柳さんに逃げられてしまうって言うのよ。ねえ、柳さん。
安重根 (ほっとして)あ、柳ですか。柳に逃げられますか。そうですねえ。
ニイナ 何を言ってるのよ。妙に
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