んだろう。気が知れねえ。
お光 おや、ここにも一人日本人がいますよ、ははは。
髪を刈っている客 (金学甫の椅子から)そうだ。日本人と言えば、ハルビンは騒ぎのようだね。ロシアの大蔵大臣のココフツォフとかいう人が来て、日本の伊藤公爵を待ち合わせるんだそうだ。
張首明 伊藤公爵って、この六月まで韓国統監をしていた伊藤さんかね。
女一 さよなら。
女二 あたしも行こう。油を売っちゃいられないわ。
近所の男 張さん、じゃまた、後で来るぜ。
張首明 そうかい。もうすぐだがね。
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女三人と近所の男は、張首明夫婦に挨拶して去る。入れ違いに、よごれた朝鮮服に鳥打帽をかぶり、煙草の木箱を抱えた禹徳淳がはいって来て、安重根とちらと顔を見合って腰掛けに坐る。張首明は素早く二人を見較べる。
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お光 (張首明へ)あら、煙草まだあったわね。
禹徳淳 煙草じゃありませんよ。髪刈りに来たんですよ。
髪を刈っている客 伊藤さんは今度帰ると、満洲太守という位につくんだという評判だよ。
張首明 そうですかね。豪勢なもんさね。それで、なんですかい、ハルビンへおいでになるのは、その瀬踏みってわけでしょうかね。なんだか満鉄の整理に見えるとかって聞きましたが――。
客 そんなこともあるかもしれない。中村とかいう満鉄の総裁が一緒に来るそうだから。
金学甫 (客を済まして)一服おつけなさいまし。
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張首明は安重根と禹徳淳へそれとなく注意している。
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お光 金ちゃん、お前、朝御飯まだだったね。(張首明へ)あんたも、ちょっと待っていただいてすましちまったらどう?
客 ここへ置きますよ。
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代を残して去る。張首明は安重根と禹徳淳に会釈《えしゃく》し、お光、金学甫とともに、三人正面のドアから奥へはいる。禹徳淳は、安重根と並んで空き椅子に腰掛けて、しばらく双方ともじっと動かず黙っている。
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安重根 (低声に)手紙見たな。
禹徳淳 言って来たとおり調べてある。二十四日の晩の汽車らしい。
安重根 今もここにいた客がその話をしていたが、(考えて)夜か――。
禹徳淳 二十三日に寛城子を出
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