君國親夫と謂ふが如き具體的觀念の外に、忠義孝貞と謂ふが如き抽象的道義を認めて、是を奉體せりと見るべき乎。若し是の如く解釋する能はずとせば、忠義と云ひ、孝貞と云ふもの、道徳上の價値に於て言ふに足らざるものならむのみ。
而して吾人は是の如く解釋するを欲せざるもの也。楠公の湊川に討死せる時、何ぞ至善の觀念あらむ、何ぞ其の心事に目的と手段との別あらむ、唯※[#二の字点、1−2−22]君王一旦の知遇に感激して、微臣百年の身命を抛《なげう》ちしのみ。是の如くにして死せるは、楠公にとりて至高の滿足なりし也。而して是の滿足を語り得むものは、倫理學説に非ずして楠公自らの心事ならむのみ。菅公の配居に御衣を拜せし時、何ぞ至善の觀念あらむ、何ぞ君恩を感謝するを以て臣下の義務なりと思はむや。畢竟菅公の本心は、唯※[#二の字点、1−2−22]是の如くにして滿足せられ得べかりしのみ。拘々たる理義、如何ぞ菅公が是の本心を説明し得べき。戰國の武士は吾人に幾多の美譚を遺《のこ》したり。然れども或は勇士意氣に感じては輙《すなは》ち身を以て相《あひ》許《ゆ》るし、或は受くる所は※[#非0213外字:「厂+菫」、ただし「菫」は第3水準1−92−16のつくりの形、読みは「わづか」、286−下−24]に一日の粟、而かも甘じて己れを知る者の爲に死す。是の間の消息何ぞ至善あらむ、何ぞ目的あらむ、又何ぞ手段あらむ。彼等の忠や義や、到底道學先生の窺知を容《ゆる》さざるものある也。喩へば鳥の鳴くが如く、水の流るるが如けむ、心なくしておのづから其の美を濟《な》せる也。古の人曰へらく、野に咲ける玉簪花を見よ、勞《はたら》かず紡《つむ》がざれども、げにソロモンが榮華の極みだにも其の裝ひ是の花の一に及ばざりきと。あゝ玉簪花、以て彼等の行爲の美しきにも喩へむ乎。然れども道徳の眼を以て見る、則ち如何。彼等若し既に至善を解せず、隨つて至善を實現せむとするの動機に於て缺くる所ありとせば、其の行爲や、果して道徳的價値を有せりと謂ふべき乎。道徳的行爲は意識を要し、考察を要し、戮力を要す。而して彼等の行爲や、雲の無心にして岫を出づるが如き也、麋鹿のおのづから溪水に就くが如き也。彼等が其の君國に殉し、其の親夫に盡せるは、猶ほ赤兒の其の母を慕ふが如くにして然り。其の心事や、渾然として理義の解析を容《い》れざる也。赤兒の其の母を慕ふは人性自然の本
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