《なくね》を忍樣いぢらし。
 折から、此方《こなた》を指《さ》して近づく人の跫音《あしおと》に、横笛手早く文を藏《をさ》め、涙を拭ふ隙《ひま》もなく、忍びやかに、『横笛樣、まだ御寢《ぎよしん》ならずや』と言ひつゝ部屋《へや》の障子|徐《しづか》に開きて入り來りしは、冷泉《れいぜい》と呼ぶ老女なりけり。横笛は見るより、蕭《しを》れし今までの容姿《すがた》忽ち變り、屹《きつ》と容《かたち》を改め、言葉さへ雄々《をゝ》しく、『冷泉樣には、何の要事あれば夜半《よは》には來給ひし』、と咎むるが如く問ひ返せば、ホヽと打笑ひ、『横笛さま、心強きも程こそあれ、少しは他《ひと》の情《なさけ》を酌み給へや。老い枯れし老婆の御身に嫌はるゝは、可惜《あたら》武士《ものゝふ》の戀死《こひじに》せん命《いのち》を思へば物の數ならず、然《さ》るにても昨夜《よべ》の返事、如何に遊ばすやら』。『幾度申しても御返事は同じこと、あな蒼蠅《うるさ》き人や』。慚《はづか》しげに面《おもて》を赧《あか》らむる常の樣子と打つて變りし、さてもすげなき捨言葉《すてことば》に、冷泉|訝《いぶか》しくは思へども、流石《さすが》は巧者《しれ
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