《はなぞめ》の香《か》に幾年《いくとせ》の行業《かうげふ》を捨てし人、百夜《もゝよ》の榻《しぢ》の端書《はしがき》につれなき君を怨みわびて、亂れ苦《くるし》き忍草《しのぶぐさ》の露と消えにし人、さては相見ての後のたゞちの短きに、戀ひ悲みし永の月日を恨みて三|衣《え》一|鉢《ぱつ》に空《あだ》なる情《なさけ》を觀ぜし人、惟《おも》へば孰《いづ》れか戀の奴《やつこ》に非ざるべき。戀や、秋萩《あきはぎ》の葉末《はずゑ》に置ける露のごと、空《あだ》なれども、中に寫せる月影は圓《まどか》なる望とも見られぬべく、今の憂身《うきみ》をつらしと喞《かこ》てども、戀せぬ前の越方《こしかた》は何を樂みに暮らしけんと思へば、涙は此身の命なりけり。夕旦《ゆふべあした》の鐘の聲も餘所《よそ》ならぬ哀れに響く今日《けふ》は、過ぎし春秋《はるあき》の今更《いまさら》心なきに驚かれ、鳥の聲、蟲の音《ね》にも心|何《なに》となう動きて、我にもあらで情《なさけ》の外に行末もなし。戀せる今を迷《まよひ》と觀れば、悟れる昔の慕ふべくも思はれず、悟れる今を戀と觀れば、昔の迷こそ中々に樂しけれ。戀ほど世に訝《いぶか》しきものはあ
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