火焔《くわえん》天《てん》を焦《こが》して立上《たちのぼ》れり。そよとだに風なき夏の曉に、遠く望めば只々|朝紅《あさやけ》とも見ゆべかんめり。風靜《かぜしづか》なるに、六波羅わたり斯かる大火を見るこそ訝《いぶか》しけれ。いづれ唯事《たゞごと》ならじと思へば何となく心元《こゝろもと》なく、水汲みて急《いそ》ぎ坊に歸り、一杖一鉢、常の如く都をさして出で行きぬ。

   第二十六

 瀧口入道、都に來て見れば、思ひの外なる大火にて、六波羅、池殿《いけどの》、西八條の邊《あたり》より京白川《きやうしらかは》四五萬の在家《ざいけ》、方《まさ》に煙の中にあり。洛中《らくちゆう》の民はさながら狂《きやう》せるが如く、老を負ひ幼を扶けて火を避くる者、僅の家財を携へて逃ぐる者、或は雜沓《ざつたふ》の中に傷《きずつ》きて助けを求むる者、或は連れ立ちし人に離れて路頭《ろとう》に迷へる者、何れも容姿を取り亂して右に走り左に馳せ、叫喚呼號の響、街衢に充ち滿ちて、修羅《しゆら》の巷《ちまた》もかくやと思はれたり。只々見る幾隊の六波羅武者、蹄の音高く馳せ來りて、人波《ひとなみ》打《う》てる狹き道をば、容赦《ようしや
前へ 次へ
全135ページ中103ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
高山 樗牛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング