證據、眞《まつ》此の通り』と、床《とこ》なる一刀スラリと拔きて、青燈の光に差し付くれば、爛々たる氷の刃に水も滴《したゝ》らんず無反《むそり》の切先《きつさき》、鍔を銜《ふく》んで紫雲の如く立上《たちのぼ》る燒刃《やきば》の匂《にほ》ひ目も覺《さ》むるばかり。打ち見やりて時頼|莞爾《につこ》と打ち笑《ゑ》み、二振三振《ふたふりみふり》、不圖《ふと》平見《ひらみ》に映る我が顏見れば、こはいかに、内落ち色|蒼白《あをじろ》く、ありし昔に似もつかぬ悲慘の容貌。打ち駭きて、ためつ、すがめつ、見れば見るほど變り果てし面影《おもかげ》は我ならで外になし。扨も窶れたるかな、愧《はづか》しや我を知れる人は斯かる容《すがた》を何とか見けん――、そも斯くまで骨身をいためし哀れを思へば、深さは我ながら程知らず、是も誰《た》が爲め、思へば無情《つれな》の人心《ひとごゝろ》かな。
碎けよと握り詰めたる柄《つか》も氣も何時《いつ》しか緩《ゆる》みて、臥蠶《ぐわさん》の太眉《ふとまゆ》閃々と動きて、覺えず『あゝ』と太息《といき》つけば、霞む刀に心も曇り、映《うつ》るは我面《わがかほ》ならで、烟の如き横笛が舞姿。是はとばかり眼を閉ぢ、氣を取り直し、鍔音高く刃《やいば》を鞘に納むれば、跡には燈の影ほの暗く、障子に映る影さびし。
嗚呼々々、六尺の體《み》に人竝みの膽は有りながら、さりとは腑甲斐なき我身かな。影も形もなき妄念《まうねん》に惱まされて、しらで過ぎし日はまだしもなれ、迷ひの夢の醒め果てし今はの際《きは》に、めめしき未練は、あはれ武士ぞと言ひ得べきか。輕しと喞《かこ》ちし三尺二寸、双腕《もろうで》かけて疊みしはそも何の爲の極意《ごくい》なりしぞ。祖先の苦勞を忘れて風流三昧に現《うつゝ》を拔かす當世武士を尻目にかけし、半歳前の我は今|何處《いづく》にあるぞ。武骨者と人の笑ふを心に誇りし齋藤時頼に、あはれ今無念の涙は一滴も殘らずや。そもや瀧口が此身は空蝉《うつせみ》のもぬけの殼《から》にて、腐れしまでも昔の膽の一片も殘らぬか。
世に畏るべき敵に遇はざりし瀧口も、戀てふ魔神には引く弓もなきに呆れはてぬ。無念と思へば心愈々亂れ、心愈々亂るゝに隨《つ》れて、亂脈打てる胸の中に迷ひの雲は愈々擴がり、果は狂氣の如くいらちて、時ならぬ鳴弦の響、劍撃の聲に胸中の渾沌を清《すま》さんと務むれども、心茲にあらざ
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