ま》の中に、我《わが》ありし事、薄《すゝき》が末の露程も思ひ出ださんには、など一言《ひとこと》の哀れを返さぬ事やあるべき。思へば/\心なの横笛や。
然《さ》はさりながら、他《あだ》し人の心、我が誠もて規《はか》るべきに非ず。路傍《みちのべ》の柳は折る人の心に任《まか》せ、野路《のぢ》の花は摘む主《ぬし》常ならず、數多き女房曹司の中に、いはば萍《うきくさ》の浮世の風に任する一女子の身、今日は何れの汀に留まりて、明日《あす》は何處の岸に吹かれやせん。千束《ちづか》なす我が文は讀みも了らで捨てやられ、さそふ秋風に桐一葉の哀れを殘さざらんも知れず。況《まし》てや、あでやかなる彼れが顏《かんばせ》は、浮きたる色を愛《め》づる世の中に、そも幾その人を惱しけん。かの宵にすら、かの老女を捉へて色清げなる人の、嫉ましや、早や彼が名を尋ねしとさへ言へば、思ひを寄するもの我のみにてはなかりけり。よしや他《ひと》にはあらぬ赤心《まこと》を寄するとも、風や何處と聞き流さん。浮きたる都の艷女《たをやめ》に二つなき心盡しのかず/\は我身ながら恥かしや、アヽ心なき人に心して我のみ迷いし愚さよ。
待てしばし、然《さ》るにても立波荒《たつなみあら》き大海《わたつみ》の下にも、人知らぬ眞珠《またま》の光あり、外《よそ》には見えぬ木影《こかげ》にも、情《なさけ》の露の宿する例《ためし》。まゝならぬ世の習はしは、善きにつけ、惡しきにつけ、人毎《ひとごと》に他《ひと》には測られぬ憂《うき》はあるものぞかし。あはれ後とも言はず今日の今、我が此思ひを其儘に、いづれいかなる由ありて、我が思ふ人の悲しみ居らざる事を誰か知るや。想へば、那《か》の氣高《けだか》き※[#「※」は「くさかんむり」の下に「月+曷」、第3水準1−91−26、19−12]《らふ》たけたる横笛を萍《うきくさ》の浮きたる艷女《たをやめ》とは僻《ひが》める我が心の誤ならんも知れず。さなり、我が心の誤ならんも知れず。鳴く蝉よりも鳴かぬ螢の身を焦すもあるに、聲なき哀れの深さに較《くら》ぶれば、仇浪《あだなみ》立てる此胸の淺瀬は物の數《かず》ならず。そもや心なき草も春に遇へば笑ひ、情《じやう》なき蟲も秋に感ずれば鳴く。血にこそ染まね、千束なす紅葉重《もみぢがさね》の燃ゆる計りの我が思ひに、薄墨の跡だに得還《えかへ》さぬ人の心の有耶無耶《ありやなしや》は、
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