波羅樣《よろづろくはらやう》をまねびて時知り顏なる、世は愈々平家の世と覺えたり。
 見渡せば正面に唐錦《からにしき》の茵《しとね》を敷ける上に、沈香《ぢんかう》の脇息《けふそく》に身を持たせ、解脱同相《げだつどうさう》の三衣《さんえ》の下《した》に天魔波旬《てんまはじゆん》の慾情を去りやらず、一門の榮華を三世の命《いのち》とせる入道清盛、さても鷹揚《おうやう》に坐せる其の傍には、嫡子《ちやくし》小松の内大臣重盛卿、次男中納言宗盛、三位中將|知盛《とももり》を初めとして、同族の公卿十餘人、殿上三十餘人、其他、衞府諸司數十人、平家の一族を擧げて世には又人なくぞ見られける。時の帝《みかど》の中宮《ちゆうぐう》、後に建禮門院と申せしは、入道が第四の女《むすめ》なりしかば、此夜の盛宴に漏れ給はず、册《かしづ》ける女房曹司《にようばうざうし》は皆々晴の衣裳に奇羅を競ひ、六宮《りくきゆう》の粉黛《ふんたい》何れ劣らず粧《よそほひ》を凝《こ》らして、花にはあらで得ならぬ匂ひ、そよ吹く風毎《かぜごと》に素袍《すはう》の袖を掠《かす》むれば、末座に竝《な》み居る若侍等《わかざむらひたち》の亂れもせぬ衣髮をつくろふも可笑《をか》し。時は是れ陽春三月の暮、青海《せいかい》の簾高く捲き上げて、前に廣庭を眺むる大弘間、咲きも殘らず散りも初《はじ》めず、欄干《おばしま》近く雲かと紛《まが》ふ滿朶の櫻、今を盛りに匂ふ樣《さま》に、月さへ懸《かゝ》りて夢の如き圓《まどか》なる影、朧に照り渡りて、滿庭の風色《ふうしよく》碧紗に包まれたらん如く、一刻千金も啻ならず。内には遠侍《とほざむらひ》のあなたより、遙か對屋《たいや》に沿うて樓上樓下を照せる銀燭の光、錦繍の戸帳《とちやう》、龍鬢の板疊に輝きて、さしも廣大なる西八條の館《やかた》に光《ひかり》到らぬ隈《くま》もなし。あはれ昔にありきてふ、金谷園裏《きんこくゑんり》の春の夕《ゆふべ》も、よも是には過ぎじとぞ思はれける。
 饗宴の盛大善美を盡せることは言ふも愚《おろか》なり、庭前には錦の幔幕を張りて舞臺を設け、管絃鼓箏の響は興を助けて短き春の夜の闌《ふ》くるを知らず、豫《かね》て召し置かれたる白拍子《しらびやうし》の舞もはや終りし頃ほひ、さと帛《きぬ》を裂くが如き四絃一撥の琴の音に連《つ》れて、繁絃急管のしらべ洋々として響き亙れば、堂上堂下|俄《にはか》
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