に早く屈托もなく、すらすらとやって退《の》ける。それから編み物が旨《うま》い。チクチク針を運ぶ手などは見ても面白いようでした。また月琴《げっきん》が旨い(その頃はまだ月琴などいうものが廃《すた》っていませんでした)。すべてこういった調子に相当折り紙つきの黒人《くろうと》でした。また何をさせても一通りに出来ました。
しかし、こういう人の癖として、ずば抜けてはいないのでした。万能《ばんのう》的なのは一心がかたまらぬせいか、心が籠《こも》らないせいか、傑出するには足りなかった。それを見ると、不器用の一心がかえって芸道のことには上達の見込みがあるか。とにかく、米原雲海氏などとは違った畑の人であって、貫徹《つらぬ》いては出来ない側の類です。滝川氏はまた特に写真が上手であったが、私の宅にいる間、私や他の弟子たちが写真機などをいじっていても、写真の写の字もいいませんでした。私宅を出る際、初めて自分は写真をもって本職として世に立つ考えで、写真は多年苦心をしたものであると打ち明けました。この話を聞いた時に私はそのたしなみ[#「たしなみ」に傍点]のえらいのに感心しました。後日この人が写真師となって私の写
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