知らずにおった。故郷へ帰られる時初めて打ち明けました)。或る日、私の谷中の宅の玄関に案内を乞《こ》う人があるので、私が出て見ると、相当年輩の若い衆、丁寧に挨拶をして、何かいっているのであるが、どうも何をいっているかさらに分らぬ。しかし、自分を私の弟子にしてくれといっているようである。どうも私にはこの人のいってるお国言葉がちっとも分らない。その中|懐《ふところ》から添え書きようの物を出したから、見ると、それは海野美盛氏からの添え状で、この人は自分の友人で、彫刻熱心の人であって、至って物堅く、懸念のない人であるが、万事は自分において引き受けるから、弟子にしてやってくれと認《したた》めてある。それでこの人の来意は分りましたが、さて、こうして遠国からわざわざ上京して彫刻をやろうという覚悟はさることながら、実地に当ってはなかなか容易なことでありませんから、私はその旨を一応話し、まず少しの間通ってやって見るがよろしかろうと答えますと、米原氏はよろこび、それから何処であったか谷中からは大分離れた処に下宿をして毎日弁当持ちで通って来ました。
この時代は、私は先方の都合はどうであっても委細かまわず弟子にしました。自分持ちで通える人は通ってもらい、また食べることが出来ず、居《い》る所のない人は、家へ置いて食べさせるようにしまして、なるべく自分の方を切りつめ切りつめして、一人でも多く弟子を作ることに心掛けましたので、次第にその数が多くなったことであるが、その中でこの米原氏はなかなか感心なところのあった人で、また大分他とは異《ちが》った処がありました。今日でも世評はいろいろあるかも知れませんが、初めて私の玄関へ来てから以来、その熱心さというものは到底普通では真似《まね》の出来ない処がありました。もっとも故郷《くに》を出る時の意気が違うから、自然その態度がはげしいのでありましょうが、たとえば、毎日通って来るようになってからも、上京早々のこと故、上野、浅草と少しは見物もして歩きたいのは誰しも人情であろうが、私が仕事場へ出て見て、今日は休日であるから、他の弟子たちはいずれも遊びに出払っているような場合でも、米原氏だけは、チャンと仕事場におって、道具を磨《みが》いているとか、木ごしらえをしているとか、何かしら、彫刻の事をやっているのである。私とても一々弟子たちのことを監視しているわけでもないが、
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