です。
それから、今日では鋳造の先生で原安民氏が、彫刻の手ほどきは私の宅にてされました。氏は大磯の人、その頃は川崎伊三郎といいました。
もう一人、俵光石という房州|北条《ほうじょう》の石屋さんがあります。この人が宅へ参ったのはちょっと話がある。
谷中茶屋町の私の宅はお隣りが石屋でした。私の宅にて中二階の仕事場を建てましたので、二階から仕事場が手に取るように見え、また石屋の方からこちらの仕事をしているのも見えました。一方は木、一方は石の相違はあっても同じく物の形を彫って仕事をしているのには違いはありません。もっとも石屋の方では主《おも》に石塔のようなものを彫っているが、時には獅子《しし》、狐、どうかすると観音などを彫っていることもある。こっちでは動物流行の折からで、象、虎、猿、などいうものを彫っている。石も材料、木も材料、材料は違うけれども双方ともに彫刻師である……にもかかわらず、石屋さんの仕事場の方ではこっちの仕事をしているのを振り向きもせず、さらに知らない顔をしている。てんで無感覚であります。これを見て私は思ったことですが、いかに何んでも、お互いに物の形を彫ることを職業としている身でありながら、自分たちからは異《ちが》った材料でやっている仕事の工合は一体どんなものだろう。木彫《もくちょう》をやってる彼の人たちの、腕を一つ見てみよう位の気は起りそうなもの、こっちでは随分毎日仕事の合間《あいま》に石屋のこつこつ叩《たた》いている処を見て、もうあの獅子の頭が見えて来た、狐の尻尾《しっぽ》があらわれたと、形の如何《いかん》はとにかく、段々と物の形の現われて来るのを楽しみにする位にして見てもいるのに、石屋の職人たちの気のなさ加減にもほどがあると、余計なことですが、私はそう思いました。そう思うにつけて、何かこちらでも石を彫って見たい気持になる。石というものも彫れば我々にも彫れるものか――彫って見れば彫れぬこともあるまい。彫れば、まさかにあんな形を平気でやりもしない。どうせ、物を彫るものなら、もう少し、石であっても物の形を研究すれば好いのに、あれでは石の材料が可哀《かわい》そう……一つ石を彫って、もっと物らしい物をこしらえて見たい……というような物数寄《ものずき》な気が起るのでありました。
それで、或る時、毎度話に出ました例の馬の後藤貞行さんに逢った時、私がこの話をし
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