で月謝はわずか四、五十銭でしたが、四、五人寄れば多少纏まりますので、島田氏はよろこんでおりました(流義は千家《せんけ》でした)。しかし、長次郎は一身上の都合で、長く弟子にして置くわけに行かず、途中で暇をやりました。

 その次に参ったのは、林美雲です(美雲のことは時々前に話しましたが)。この人は旧姓を西巻庄八といいました。これは私の親たちの肝煎《きもい》りで私の師匠東雲師へ弟子入りをさせたのですから、私の心《しん》からの弟子ではなく、弟《おとと》弟子でありますが、不幸なことには、まさに年季が明けようという際《きわ》に師匠が歿《ぼっ》しましたので、師匠歿後の高村家におりましたけれども、彼の三枝松政吉(私の兄弟子)が私に代って師匠歿後のことを一切引き受けてやるようになってから、政吉と衝突しまして、正直|律義《りちぎ》の人であったから、かえってむか腹を立てて暇を取りました。しかし、まだ一人前になっていないことで、どうするわけにも行かぬので、私が西町にいる所へやって来て、「どうか、世話をして下さい」といいますので、気の毒とは思うけれども、師匠の家を兄弟子と衝突で暇を取ったものを、直ぐに私が自分
前へ 次へ
全8ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
高村 光雲 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング