、したがってそのため資産を滅ぼしたが、それでも三井の物産の方に関係し、楠の大広蓋《おおひろぶた》などを納めて相当立派にやっていたのでした。一方、萩原吉兵衛氏は、身体《からだ》が弱かったので熱海の温泉に行った処、この人も変り者で、任侠的な気風の人であったので、何かの事で逢ったのが縁で、同気相求め、君の次男を貰おう。遣《や》ろう。ということになったのでした。国吉は故郷熱海を後《あと》にして東京に来り、養父の許《もと》に暫時いたのであったが、養父は家に置いて家職のことを覚えさせるより、後々にはきっと世の中に認められて来るであろうと思われる木彫りの修業をさせた方が行く行くこの児のためであろうと考え、私に弟子入りを頼んで来たのでありました。しかし、私は困難の最中のことでありますから、食いぶちだけはとにかく、その他の一切のことはそちらにてやってもらいたいというと、吉兵衛さんは相当立派にやっていることですから、無論それは承知で、国吉は私の内弟子として私宅へ参ったのであった。これが私の最初の弟子で、弟子中では最も古参であります。国吉は後に仔細《しさい》あって旧姓山本に復し山本瑞雲と号したのです。
瑞
前へ
次へ
全8ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
高村 光雲 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング