幕末維新懐古談
門人を置いたことについて
高村光雲
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)今日《こんにち》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)終日|孜々汲々《ししきゅうきゅう》と
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今日《こんにち》までの話にはまだ門人の事について話が及んでおりませんから、今日はそれを話しましょう。実は、私が弟子を置いたということは偶然のことではないのです。これには少し理由のあることで……といって何もむずかしいことでも何んでもありませんが、……前にも度々話した通り、私が弟子を置き初めた時分……ちょうど西町時代の初期頃は木彫りが非常に頽《すた》れ、ひとえに象牙ばかりが流行《はや》った時代。木彫りといってはほとんど全く顧みる人もなかったのであります。しかし木彫りをする人は多少はありました。多少はあるにはあっても、その中に腕のすぐれた人はなおさら牙彫りの方へ職を変えてしまいましたから、一層木彫りの方は頽れて行ったような次第であって、わずかに自分ら一、二のものが取り残されたようなわけで木彫りの振《ふる》わないことは夥多《おびただ》しいのでありました。したがって生計上に困ることは自然の理で、ようやくその日を糊《のり》する位のもので、さらに他を顧みる隙《ひま》もなかったことでありました。
木彫りの世界はこういうあわれむべき有様でありましたので、私は、どうかしてこの衰頽《すいたい》の状態を輓回《ばんかい》したいものだと思い立ちました。ついては、何事によらず、一つの衰えたものを旺《さか》んにするにはまず戦わねばならぬ。戦争をするとすると兵隊が入ります。で、その兵隊を作らねばならないとまず差し当ってこう考えました。すなわち木彫界の人を作らなければならない。人の数が多くなればしたがって勢力が着いて来る。そうすれば世に行われると、まあ、こういう見当をつけたのであります。そこで、どういう手段でその人を殖《ふ》やす方法を取るべきであるか……ということになるのですが、どうといって、弟子でも置いて段々と丹精して、まず自分から手塩《てしお》に掛けて作るよりほかはない。……と気の長い話でありますが、こう考えるよりほかに道もありませんでした。
ところが、木彫りは今も申す如く、衰えていて、私自身がその当時現に困窮の中に立ち、終日|孜々汲々《ししきゅうきゅう》としてい
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