ます。
彫りかけの猿はこの時一緒に引っ越しました。モデルの猿は用が済んで飼い主に返しました。仕事の方は荒彫りが済んだ処で、これから仕上げに掛かろうというところでした。初めよりも目方で減っていたこと故、離れの七畳の方へ担《かつ》ぎ込み、仕上げを初めました。ところが、重味で真ん中の根太《ねだ》が凹《へこ》んで困りましたが、それなりでとうとう翌年の二月に仕上げ、農商務省へ納めました。やっとシカゴの博覧会出品に間に合ったことであった。
米国シカゴの博覧会には、日本から塩田真氏などが渡米されました。私の老猿の彫刻は日本の出品でかなり大きい木彫りであるから欧米人の注目を惹《ひ》いたが、ちょうど陳列の場所でロシアと向い合っていたので、あの、老猿が鷲《わし》の毛を掴《つか》んで一方を眺《なが》めている図を、何か諷刺《ふうし》的の意味でもあるように取って一層評判されたということでありました。それから、入場者が老猿の前を通ると、猿の膝頭《ひざがしら》を撫《な》でて通るので膝の頭が黒くなったなどいうことでした。これは塩田真氏が帰朝してのお話であります。今日、その作は、帝室博物館にあるそうです。
この時、私や竹内先生などが栃の木を使ったので、その頃栃の材を彫刻に使うことが流行《はや》りましたが今日では余り使われていないようです。美術学校でも例の発光路で立木のままで二、三本栃の木を買ってあったはずでありますが、どうなりましたか。学校でも忘れているかも知れません。もし、その木がそのままあれば、その頃よりさらに大きくなっていることでありましょう。
底本:「幕末維新懐古談」岩波文庫、岩波書店
1995(平成7)年1月17日第1刷発行
底本の親本:「光雲懐古談」万里閣書房
1929(昭和4)年1月刊
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:網迫、土屋隆
校正:noriko saito
2007年4月30日作成
青空文庫作成ファイル:
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