の九月九日にぽこりとやられました。今日《こんにち》では、もっと治療の方法もあったことかと思いますが、尽くせるだけは手を尽くしたけれども、とうとう奪《と》られてしまったのは、いかにも残念で、私は一時|落胆《がっかり》して、何をするにも手が附かぬようなことでありました。西町で母を亡くしまして、私の成功の緒《ちょ》に就《つ》く処までは是非存命でいてもらいたいと思った甲斐《かい》もなく、困難中に逝《ゆ》かれたことと、今度また折角苦しい中から、これまで育て上げた娘《こ》をほんの仮初《かりそめ》の病で手もなく奪《と》られましたことは、私に取っては二つの不幸でありました。私は幼少の時から苦労の中に生まれている身だから、自分の運不運はさして気にも止めはしませんが、この二つの事は身にこたえました。その前下谷西町で明治十六年に次女うめ子を五歳で驚風《きょうふう》のために亡くしましたが、これは間もなく長男の光太郎が生まれましたので幾分かまぎれました。
底本:「幕末維新懐古談」岩波文庫、岩波書店
1995(平成7)年1月17日第1刷発行
底本の親本:「光雲懐古談」万里閣書房
1929(昭和4
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