だと思ったこともありまして、子供の前ではいえないことだが、家内《かない》とも「今度はどうも本人に合ったようだ。今からこれ位に行けば末頼母《すえたのも》しい」など話してまことに可愛ゆく、出来得る限りはこの娘の天性を発揮させてやろうと存じたことでありました。
 しかし、師匠の寿信という人は、なかなかその道に手堅く、稽古をおろそかにしませんところから、その稽古はなかなか金銭《かね》が掛かりました。……というのは別のことではなく、絵を描く材料に金銭が掛かるのであって、まず何よりも絵具《えのぐ》が入るのです。たとえば、金銀、群青《ぐんじょう》、緑青《ろくしょう》など岩物《いわもの》を平常《ふだん》使うので、それも品を吟味して最初から上等品を用いさせました。これは稽古の際でも楽な絵具で稽古するようではいざという段になって本当の仕事が出来ないから、平生《ふだん》の稽古にも本式で掛からせるという師匠の教授法なのです。で、朱にしても、生臙脂《しょうえんじ》にして、墨一|挺《ちょう》、面相《めんそう》一本でもなかなか金銭が掛かります。しかし金銭が掛かるといって、師匠の趣意はいかにも道理《もっとも》のことで
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