って御願いしたいことがありますので」との話。理由を聞くと、木彫りの手ほどきをして頂きたいとの事で、今日までいろいろ馬のことに苦心し、馬の姿を造形的に現わしたいので、日本画、洋画、蝋作りまで試みたが、どれも物にならぬので、人からは移り気だの飽きッぽいのといろいろ非難されますが、それは自分の目的を突き留める所へ参らんので、段々に変更して来たわけでありますが、今度こそ木彫りならば自分の初念がこれで達せられることが分ったので、木彫りをやりたいと切望していろいろ師匠を求めたけれども、相手になってくれる人がなく、困《こう》じ果てた結果、あなたのことを思い出して、今日《こんにち》参上したわけで、どうか一つ折り入っての御願いですが、彫刻を教えて下さい。しかし、私のような年輩でも一生懸命になれば物の形が彫れるものでありましょうか、あるいはまた到底手をつけることも出来ないものでありましょうか……と後藤氏は心の誠《まこと》を籠《こ》めてのお話。その話を聞いている私はお気の毒とも感心とも思い、
「それは後藤さん、余人なら知らぬこと、あなたには出来ますよ。あなたは馬だけ彫ろうというのですから。これは出来ます。あなたには馬が頭にある。木を彫ることさえ出来れば自然馬は彫れるわけです。お望み通り教えて上げましょう」
こういいますと、後藤氏は大喜び。翌日から弁当持ちで通って来られたので、私は木取《きどり》を教えて上げた。
暫く稽古をしている中に、後藤さんの馬が出来ました。これは規則的の、馬としては非難のない馬が出来た。後藤氏は、お蔭で馬が出来ましたといって、さも満足そうに礼をいわれ、それから一層気乗りがして来て勉強されて、いろいろ馬を彫られた処、その事が軍馬局に分り、主馬寮に分り、宮内省に分りして、後藤は馬を彫ることは上手だという評判が立って、後には馬専門の彫刻家となりましたので、今上《きんじょう》天皇がまだ御六歳の時、東宮《はるのみや》様と仰せられる頃御乗用の木馬までもこの人が作られたというような次第でありました。
しかし、まだこれという大作はしない。それで、一生の仕事として、等身大の馬を製作し、招魂社にでも納めたいというのが日頃の願望……これほど、馬ということには熱心な人であったのであります。
こういう一条の逸話を、私は岡倉校長へ後藤氏の名を紹介するためにお話したのであった。そこでまた
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