葉を思い出してさえも、これは打っ棄《ちゃ》って置くべきことでないと思ったのであります。氏は、「自分は、多少の余財を作って等身大の馬を製《こしら》えて招魂社にでも納めたい」というのが平素《ふだん》の願望で、一生に一度は等身大以上の大作をやりたいという希望は氏が常に私に話されていたのであります。こういう志を持っている人を蔭に使って、その出来栄《できばえ》がよかったとして、後藤氏の立場はどうなるか……こう思うと、もう私は矢《や》も楯《たて》もたまらなくなって、この事は是非とも解決しなければならないと心を決し、その晩、急に岡倉覚三先生方へ出掛けて行ったのでありました。

 その頃の岡倉先生宅は根岸《ねぎし》であった。夜分の来訪、何事かと岡倉さんは思ってお出でのような面持《おももち》で私を迎えました。
「今夜は一つお願いがあって参りました」
 そういう私の意気組みが平生《ふだん》と違っていたと見え、
「そうですか、何かむずかしいことですか」と氏はほほ笑《え》んでいられた。
「実は、楠公製作の件で是非御願いのことがあって出ました。これは充分|聴《き》いて頂きたい……私は今度、主任の役をお受けしたのでありますが、馬上の楠公というので、差し当って馬の製作に取り掛からねばなりません。ついては、馬のことは、私は専門的に深く研究しておりません。普通の仕事であれば、また製作のしようもありますが、御承知の通り今度の馬は容易でありません。私一個の腕としてこの大物《おおもの》を立派にやり上げるということはお恥ずかしいが不安心であります……といって私の片腕となって立派にこの馬をやりこなせる人物は差し当り学校には見当りません……」
「なるほど、御もっともな話で……それは困りましたね。これは容易なことではありますまい」
「……学校には、馬の専門知識をもった人を見当りませんが、ここに私の親友に後藤貞行という人があります。この人は馬専門の彫刻家であります。……」
というところから、私は、後藤貞行氏の人為《ひととなり》と馬について研究苦心された概略《あらまし》を岡倉校長へ紹介しました。

 後藤貞行氏は、元は和歌山県の士族で、軍馬局へ勤めている。馬の調査のため奥州地方へ長らく出張して軍馬の種馬について研究し、馬のことといえばその熱心は驚くばかりで、目をねむっていてただ触《さわ》っただけでも馬の良否《よしあし
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