当を頂くということはないでしょう」
「無論、そうでしょうとも、何か御役目があるのでしょう」
など誰もいいましたが、さて何をするのか、とうとう分らずじまいで一同引き取って来たような次第であった。

 それから、段々、宮内省の方へ関係のある人たち――たとえば博物館長の九鬼隆一《くきりゅういち》氏。佐野常民氏。学校の方では岡倉先生――そういう方たちに右の帝室技芸員という役目について訳を聞きますと、「それは別段勤めるということはない。この帝室技芸員と申すは、そういう名称を作って、美術御奨励のためにという上の厚い思《おぼ》し召しであるので、年金を給したのはいわば慰労金といったようなもので、多年|我邦《わがくに》の美術界のために尽くした功労をお褒《ほ》めになった思し召しであろうと推察される。そういう御主意であろうと思うからして別段何んの役目をするということはないのである。しかしまた追々何か御用もあるかも知れないが、今日《こんにち》の処ではこれという御用はないようである。そこで実は我々の考えであるが、御参考までに申し述べて置くが、この帝室技芸員というものは、日本においては、美術家としてはまことに尊《たっと》い名義を下し置かれたもので、既にこの名称だけを得られただけでも光栄至極の義であるが、その上になおこの御手当として年金を給されたということは、聖上の思し召しまことに何んとも有難い次第である。それでこの高大な優渥《ゆうあく》な思し召しに対しては充分に技芸員たるものは気を附けねばならぬことと思う。すなわち美術および美術工芸のことには一層忠実でなくてはならないこと、同時にまた後進子弟に対しては親切懇篤の心をもって指導することは申すまでもなし、既に帝室技芸員という名称の下に身を置くものは一層身の行いを正し、誠実を旨として、各自に行いのみだらでないよう、この名称に恥じないよう、天恩の有難いことを思うて身を慎み行いを励まなくてはならない……」という意味のことを話されたのでありました。私たち技芸員はまことに御尤《ごもっとも》のことであると存じたわけでありました。

 この帝室技芸員のことはこれでおしまいでありますが、それにつけて、当時、私と石川光明氏とは互いに申し合わしたことには、実に今度の事は不思議なことであった。他の老齢の諸先生方がこの恩典に預かったことはあり得べきことと思われるが、われわ
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