度の奈良京都見物は、生まれて初めての事で、かねてから見たい希望もあったことで、大変ためになり、また熱心に見たことでありました。その後古社寺保存会の用件で、私は幾度奈良京都に出張したか知れませんが、この初旅《はつたび》の時が一番正直に見て来ております。いろいろその時にスケッチなどしたものが今日も残っておって、それを見ると、なかなか熱心に見たということが分りますが、すべて物は一番|初手《しょて》に見たことが一番深く頭に残っているものと思われます。
当時の古美術に対しての印象などについては他日一纏めとして話して置きたいと思いますが、まず、在来、人が評判しておったいろいろなものについては私の考えもほぼ同じことでありますが、奈良では、余り当時人がかれこれいわなかったあの法隆寺の仁王《におう》さんは私は一見して結構だと思いました。これは和銅年間に出来たもので、立派なものであります。法隆寺の仁王は、あれは化物《ばけもの》だなどいって人がくさ[#「くさ」に傍点]したけれども、私は、そうは思わず感心しました。南大門の仁王は鎌倉時代のものでこの方が世間の評判が高いが、法隆寺の仁王の方も実に立派であると、帰って来てから岡倉氏へ報告をしたことであったが、氏も意を得たようにいっておられました。
他のものは大概《あらまし》批評の標準が立っていて、特に私が見出《みいだ》すまでもないことで、奈良の新薬師寺の薬師|如来《にょらい》など木彫りとして結構なものの中でも特に優《すぐ》れていると思って見たことであった。わずか十日間の見物でありましたが、彫刻家としての私には得る所が多大でありました。
明治二十七年、第一回の美術学校卒業生は、いずれも今日美術界の重鎮となっており、また二回、三回と続いて優技者の続出した事は美術学校の誇りであると思います。
底本:「幕末維新懐古談」岩波文庫、岩波書店
1995(平成7)年1月17日第1刷発行
底本の親本:「光雲懐古談」万里閣書房
1929(昭和4)年1月刊
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:網迫、土屋隆
校正:noriko saito
2007年4月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.j
前へ
次へ
全3ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
高村 光雲 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング