賑わいという出鼻を敲《たた》かれて二度と起《た》ち上がることの出来ないような有様になり、春頃のどんちゃん賑やかだった景気も一と盛り、この大嵐が元で自滅するよりほかなくなったのでありました。
大仏は、もう一度塗り上げて、再び蓋を明けて見ましたが、それも骨折り損でありました。二度と起てないように押し潰された佐竹の原は、もう火の消えたようになって、佐竹の原ともいう人がなくなったのでありました。
しかし、このために、佐竹の原はかえって別の発達をしたことになったのでありました。
というのは、興業物が消えてなくなると、今度は本当の人家がぽつぽつと建って来たのであります。一軒、二軒と思っている中に、何時《いつ》の間《ま》にか軒が並んで、肉屋の馬|店《みせ》などが皮切りで、色々な下等な飲食店などの店が出来、それから段々開けて来て、とうとう竹町という市街《まち》が出来て、「佐竹ッ原」といった処も原ではなく、繁昌な町並みとなり、今日では佐竹の原といってもどんな処であったか分らぬようになりました。
若い時は、突飛な考えを起して人様にも迷惑を掛け、また自分も骨折り損。今から考えると夢のようです。
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