ら取り返しもつかぬ。しかし、野見さん父子はさっぱりしたもので、これが興業ものにはありがちのことで、一向悔やむには当りません。いずれ、秋口《あきぐち》になって、そろそろ涼風《すずかぜ》の吹く時分一景気附けましょう。といって気には止めませんが、私はじめ、高橋、田中両氏も何んとか景気を輓回《ばんかい》したいものと考えている中に残暑が来て佐竹の原は焼け附く暑さで、見世物どころの騒ぎではなくなりました。
「もっと早く、花の咲いた時分、これが出来上がっていたら、それこそ一月で元手ぐらいは取れたんだが、少し考えが遅蒔《おそまき》だった。惜しいことをした」
など、私たちは愚痴交りに話していますが、野見さんの方は、秋口というもう一つの季節を楽しみにして、ここを踏ん張ろうという肚《はら》もあるのですから、愚痴などは一つもいわず、涼風の吹いて来るのを俟《ま》っておりました。
楽しみにしていた秋口の時候に掛かって来ました。
ここらを口切りに再び大仏で一花返り花を咲かそうという時は、もう九月になっており、中の五日となりました。
この日は本所《ほんじょ》では牛の御前の祭礼、神田《かんだ》日本橋《にほんばし》の目貫《めぬき》の場所は神田|明神《みょうじん》の祭礼でありました(その頃は山王と明神とは年番でありました。多分、その年は神田明神の方の番であったと思います)。それで私は家のものを伴《つ》れてお祭りを見に日本橋の方へ行っておりました。
午後三時頃、空模様が少しおかしくなって来たので、降らない中にと家に帰りますと、ぽつりぽつりやって来ました。好い時に帰って来たよといってる中に、風が交って雨は小砂利《こじゃり》を打《ぶ》っつけるように恐ろしい勢いで降って来ました。四方《あたり》は真暗になったままで、日は暮れてしまって、夜になると、雨と風とが一緒になって、実に恐ろしい暴風雨《あらし》となりました。その晩一晩荒れに荒れて翌日になってやっと納まりましたが、市中の損害はなかなかで近年|稀《まれ》な大あらしでありました。何処《どこ》の屋根|瓦《がわら》も吹き飛ばされる。塀《へい》が倒れ、寺や神社の大樹が折れなどして大あらしの後の市中は散々の光景で、私宅なども手酷《てきび》しくやられました。が、まず何より心配なのは佐竹の原の大仏のこと、昨夜の大あらしにどうなったことかと、私は起きぬけに佐竹の原へ行
前へ
次へ
全4ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
高村 光雲 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング