けではないが、ちょっとした興業地を此所《ここ》へ拵えようと出願したものがあって、原の或る場所へいろいろのものが出来たのであった。まず御定《おきま》りの活惚《かっぽ》れの小屋が掛かる。するとデロレン祭文《さいもん》が出来る(これは浪花節《なにわぶし》の元です)。いずれも葭簀張《よしずば》りの小屋掛け。それから借り馬、打毬場《だきゅうば》、吹き矢、大弓、その他色々な大道商売位のもので、これといって足を止め腰を落ち附けて見る物はないが、一つの下等な遊戯場のような形になって来ました。それで人がぞろぞろと出る。陽気は春に掛かっていてぽかぽか暖かくなって来るし、今まで狐《きつね》狸《たぬき》のいそうな原の中が急にこう賑《にぎ》やかになったのであるから、評判が次第に高くなって、後にはこの原へ通う人で西町の往来は目立つようになって来ました。こうなると、それに伴《つ》れてまた色々な飲食店が出来て来る。粟餅《あわもち》の曲搗《きょくづ》きの隣りには汁粉屋《しるこや》が出来る。吹き矢と並んで煮込みおでん、その前に大福餅、稲荷鮓《いなりずし》、などとごった返して、一盛りその景気は大したものでありました。
といって別にこれといって落ち附いて、深く見物しようなどというものはない。いわば縁日の本尊のないようなもので、何んというきまり[#「きまり」に傍点]もなく、ただ一時の客を呼んでドンチャンと騒いでいました。
私は、西町の例の往来の見える仕事場で仕事をしていると、ぞろぞろ前を人が通る。これが皆佐竹の原へ行くのだということ。花時《はなどき》に上野の方へ人出の多いは不思議がないが、昼でも追《お》い剥《は》ぎの出そうな佐竹の原へこんなに人出があるとは妙な時節になったものだと思って仕事をしていたことであった。
底本:「幕末維新懐古談」岩波文庫、岩波書店
1995(平成7)年1月17日第1刷発行
底本の親本:「光雲懐古談」万里閣書房
1929(昭和4)年1月刊
入力:網迫、土屋隆
校正:noriko saito
2007年2月15日作成
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