おった)。
「今度は、どうもお目出たかった。ともども名誉のことであった。ついては宮内省より百円お下げになったから、此金《これ》を君へ持参した。まあ、赤飯でもたいて祝って下さい」
という言葉。
 いつもながら、若井さんの仕打ちには私も一方《ひとかた》ならず感激していますから、
「それは、毎々御志有難うございます。しかし、私は、前既に充分頂いております。此金《これ》はお返しします。もしお祝い下さるお心があったら、私はそういう事は不得手で分りません。あなたが此金《これ》で宣《よろ》しいようになすって下さい」といって押し戻しますと、
「そうですか。宜しい。では、そうしましょう」といって帰られた。

 五、六日|経《た》つと、京橋|采女町《うねめちょう》の松尾儀助氏から、幾日何時、拙宅にて夕餐《ゆうさん》を差し上げたく御枉駕《ごおうが》云々という立派な招待状が参りました。
 当日、私は出て見ると、松尾邸では大層な饗宴《きょうえん》が開かれていました。主人役は松尾氏と若井氏、お客は協会の会頭および幹部はもとより、審査員の人々が皆来ている。
 今夕《こんせき》は、高村光雲氏作が無上の光栄を得られるに
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