遅れた旨をお詫《わ》びし、手附けの金をお返しして一時前の契約を解いて頂き……彫りかけては置きません、いずれ仕上げます。出来上がれば是非御覧に入れます、その時|御意《ぎょい》に入ったら御取り置き下さい。とにかく、御約束を無にしたのは私が悪いのですと若井氏へ申し納《い》れました。
若井氏は私の申し納れを大分不機嫌な顔をして聞いておりましたが、その話はそれとして、何よりまずその荒彫りを見せて頂こうといいますから、私は風呂敷を解きました。
すると、中から彫刻の矮鶏が出て来たので、若井氏はそれを見ていましたが、急に機嫌が直ったような様子になった。
「どうも、これはおもしろい。これはよく出来ました」
そういって感心したような顔をしている。そして手に取って打ち返しなどして視《み》た後で、
「高村さん、あなたのお話はよく分りました。ですが、私はお約束を解きませんよ。博覧会の日限は一月の船が積み切りで、もはや間に合いません。しかし、それは、それでよろしゅうございます。今後、あなたが何時《いつ》これをお仕上げになるか分らんが、この矮鶏は出来次第私が頂戴することに願います。それから、此金《これ》は、木の代というつもりで差し上げて置いたのですから、私へお返しになることはいけません。それに今夜は大晦日ですよ。お入用のことがあったら、後をお持ちになって下さい。差し上げましょう」というような訳となって、若井氏は少しも私の日限に遅れたことを咎《とが》め立てをせず、製作を見て、何所《どこ》か気に入ったものと見え、私に対して厚意をもっていろいろいうてくれました。
これは思うに、若井氏が荒彫りを見て、これならと思ったよりも、同氏の気性が私の気持をよく理解しておもしろいと思ったことが手伝ったのでありましょう。とにかく、私には好い気持な人だという感を与えてくれました。で、私は厚意を謝し、この矮鶏は製作は出来るだけ早く仕上げて若井さんにお渡ししようという考えで、その約束をして、私は持って参ったものを、また元の通り持って帰りました。
大晦日のことで、私も随分入用の多い時、それを耐えて返済しに行ったのですが、話が一層進んで帰って来たのですから、その金を諸払いに使い、都合がよかったことでありました。
明けて明治二十二年、一月、二月何事もなく鶏の仕上げを続けておりました。
底本:「幕末維新懐古談」岩
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