幕末維新懐古談
矮鶏のモデルを探したはなし
高村光雲
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)矮鶏《ちゃぼ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)以前|狆《ちん》の
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(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)地※[#「てへん+(「縻」の「糸」に代えて「手」)」、298−3]《じす》り
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以前|狆《ちん》のモデルで苦労した経験がありますから、今度はチャボのモデルは好い上にも好いのを選みたいというのが私の最初の考えであった。
しかし、矮鶏《ちゃぼ》は狆と違ってその穿鑿《せんさく》も楽であろうと思った……とにかく、早速、狆のモデルの事で注意を与えてくれた彼の後藤貞行氏を訪《たず》ねて、今度の製作のことを話し、チャボの良《い》いのがなかろうかと相談しました。
動物には何かと関係のある人だから、早速、或る人を私に紹介してくれた。その人は、元農商務省の役人をしていた人で、畜産事業をやっていたが、目下は役をやめ家畜飼養をやっている、本郷《ほんごう》駒込《こまごめ》千駄木《せんだぎ》林町の植木《うえき》氏という人であった。
私は直ぐその人を訪問しました。ちょうど、現在の私の宅と同町内で、その頃|長寿斎《ちょうじゅさい》という打物《うちもの》の名人があった、その横丁を曲がって真直突き当った家で、いろいろ家禽《かきん》が飼ってあった。
植木氏に逢って、これこれと話をすると、同氏は暫《しばら》く考えて、矮鶏の見本として上乗のものがある、という事。それは何処にありますかと訊《き》くと、自分の宅にある。が、しかし、それは、世間でおもちゃにして飼っている矮鶏とは異《ちが》って、本当の矮鶏で、自分が六代生まれ更《かわ》らせて、チャボの本種を作り出そうと苦心して拵《こしら》え上げたもので、これ以上本筋のチャボはない。世間で一升|桝《ます》に雄雌|這入《はい》るのが好いとか、足が短くて羽を曳《ひ》くのが好いとかいうのは、これは玩具《おもちゃ》で、いわば不具同様、こんなのは矮鶏であって、矮鶏ではない。今、それをお目に掛けようといって、主人は書生に命じてその雄雌のチャボを私の前へ持って来させました。
見ると、これが矮鶏かと思うような鶏《とり》である。
しかし、立派なことはなかなか立派であった。脚《あし》が長く、尾は上へ背負《しょ》っている。羽毛は切れ上がって非常に活溌で、鶏としては好い鶏とは思えますが、どうも、従来、私たちが目に馴染《なじ》んでいる矮鶏とは形が余り大まかで、矮鶏という感じがない。けれど、以前、葉茶屋の狆と、戸川さんの狆との対照のこともあるから、家禽専門家の言葉を信用せぬわけには行きません。
それに植木氏はこういって説明を加えられている。
「お話を聞くと、フランスの博覧会へお出しになる木彫りの見本になさるというのだと、日本の在来のおもちゃのチャボでは困りましょう。あれは型にはめていじめて作ったもので鉢植えの植木と同様、そういう不具物《かたわもの》を見本にしたのではフランスの家禽通が承知をしまい。やはり、モデルとするとなるとこの私の丹誠して仕上げたものが適当で、これなら万《ばん》非点の打たれようはあるまい」
との事。至極もっともな話だ。では、どうかこれを拝借することにお願いしたいと頼みますと、植木氏は一風変った人で、お役に立てばお持ちなさい。あなたに差し上げましょう。私も道楽に六代も生まれ変らせて作ったものが、そういうことに役に立てば甚《はなは》だ満足ですといって、早速書生さんに苞《つと》を拵えさせ、一匹ずつ入れて、両方に縄《なわ》を附けて、提《さ》げて持てるようにしてくれました。鶏は苞から頸《くび》だけ出して、びっくりした顔をしている。私は素直に植木氏の好意を謝し頂戴《ちょうだい》して帰りました。
狭いけれども宅には庭がありますから、右の矮鶏を、掩《ふ》せ籠《かご》を買って来て、庭へ出して、半月ばかり飼って置きました。
そうすると、色々な人が来て庭にいる植木さんから買って来た鶏を見て
「あれは何んの鳥ですか」
という塩梅《あんばい》。
「矮鶏ですよ」
といっても、どうも腑《ふ》に落ちないような顔をして
「へへえ、矮鶏ですか。……」といって、チャボにしちゃ変だなあといいそうである。私は、その説明をするために植木さんの受け売りをするのだが、どうも誰も承知しません。中にはチャボ通などがあって、
「どうも、チャボとは受け取れませんね。元来、チャボは占城国《チャンパこく》とかから渡ったもので舶来種だが、この鶏は舶来なんですかね。鶏の中でも極めて小さいもので、脛《あし》の高さがわずか一、二寸、それが低いほど、また体《からだ》が小さいほど好いものとなっています。小さいのは南京《ナンキン》チャボとか地※[#「てへん+(「縻」の「糸」に代えて「手」)」、298−3]《じす》りとかいって脚も嘴《くちばし》も眼も黄色です。これはチャボの化けたようなものでしょう」
など講釈するものもあって、十中の十まで右の鶏を本当のチャボといいません。私も半月ほどいろいろ鶏の批評を聞きながら、その姿や動作を見ていたことですが、右のようなわけで少し不安心になりました。
それで、今度は普通のチャボの、つまり背《せい》の低い方のを探したいと思い、御成街道《おなりかいどう》の錺屋《かざりや》に好いのがいるという話を聞いたので、また出掛けて行きました。
御成街道のどの辺であったか今日|能《よ》く記憶しませんが、訪ねて行ってその錺屋の主人にチャボを見せてもらいました。が、これは今の南京チャボとか地※[#「てへん+(「縻」の「糸」に代えて「手」)」、298−11]りとかいう方のものでしょう、小ぢんまりした可愛らしいいかにも矮鶏らしいチャボですから、また、事情を話して借りたい旨を申し込んだ。すると、この人は工人だけに分りが早い。御同様に仕事のことでは苦労します。これでよければ持って行って御覧なさいといって快く貸してくれました。
そこでこの方の鶏も庭に飼って、前のと両方、別々の掩《ふ》せ籠《かご》に入れて置いた。
そうしますと、来る人ごとに錺屋の方のチャボを見て、これこそチャボだといって賛成しますが、植木さんの方のは依然として反対します。私もどっちをどうと判断に苦しんでいる処へ、例の後藤さんが見えた。
で、早速、先日の礼をいい、植木さんから貰って来た鶏を見せますと、何んだか不得心らしい顔をしている。実はこれこれと例の受け売りをやって見ましても、後藤氏は腑に落ちた様子がない。で錺屋の方を見せると、
「これは好い、これはどう見てもチャボです」と首肯《うなず》いているので私も案外、狆の時とは違って、立派に見える方が落第ということにまずなった。
つまり、私は、十目の見る所、世間に通用する矮鶏をチャボのモデルとする方に考えが決まりましたのです。毎度このモデル問題では大真面目《おおまじめ》でありながら滑稽《こっけい》に近い話などが湧《わ》いて、家のものなども大笑いをしたことが度々《たびたび》ありました。
底本:「幕末維新懐古談」岩波文庫、岩波書店
1995(平成7)年1月17日第1刷発行
底本の親本:「光雲懐古談」万里閣書房
1929(昭和4)年1月刊
入力:網迫、土屋隆
校正:noriko saito
2007年2月15日作成
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