の見識もあることで、まだ私も後進のことなり、今度は何もいわずお任かせしようと思いましてそのままにしたことで、ついに金賞となりましたが、今日から考えても、随分努力の作とは申しながら、まだ考えが足らず誰方《どなた》にもやれそうな仕事で、今見れば銅賞にも及ばぬものかとも思われます。
しかし、大島如雲氏の手に掛かって鋳物にして、また見直したことで、その年の中に鋳造も出来《しゅつらい》して御造営事務局へ彫工会から納めました。
その後においても、今日に至るまで、宮城は度々拝観も仰せつかりましたが、貴婦人の間というのは拝観人にはお許しにならぬ御場所でもありますから、どういう工合に飾られてあるか、さらにそれは知りません。
それから、右の木型の原型は彫工会の事務所に保存してありますが、その中四肢で立っている分(この分一番出来がよかったと思う)が、何処かへ貸した際紛失してしまって、今は三つだけ残っております。その頃、私が狆を作ったため、それが珍しかったか、一時諸方に狆を拵えたのを見受けたことがありました。
今度の製作については、随分幹部の方々にもお世話を掛けたようなわけで、別して山高氏には御心配をかけました。同氏は先申す通り、博識で、美術界のために大いに尽くされた方で、池の端に宏壮《こうそう》な邸宅を構えておられました。今日でもその建築は池の端に高く聳《そび》え立っております。何んでも、かね[#「かね」に傍点]勾配《こうばい》をもう一層高くしたほどの高い屋根の家でありますから、山高さんのことを「屋根高《やねだか》」さんなど人はいった位でありました。
これから引き続いて鶏《とり》の話をする順序となります。
底本:「幕末維新懐古談」岩波文庫、岩波書店
1995(平成7)年1月17日第1刷発行
底本の親本:「光雲懐古談」万里閣書房
1929(昭和4)年1月刊
入力:網迫、土屋隆
校正:noriko saito
2007年1月8日作成
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