首尾|能《よ》く掛かりの方へ納めたことでありました。出来上がったのが四月……桜の花の散る頃でありました(手伝わせた弟子には林美雲氏も山本|瑞雲《ずいうん》氏もおりました。美雲氏は既に故人となったが、後に美術学校の助教授をもしたことであって、至極穏健な作をする人であった。東雲師のお宅で年季を勤め上げ、一人前になろうという所で師匠が歿されましたので、その後は私の許《もと》に参って私の弟のようになったのであります。また山本瑞雲氏は現存で今日盛んに活動しております。この人は元萩原国吉といいましたが、後に実家の山本姓に復し号を瑞雲と改めました)。

 鏡縁が納まると、今度は御欄間《おんらんま》の彫刻を仰せつかりました。
 これは七宝に山鵲《さんじゃく》の飛んでいる図であった(山鵲という鳥はちょっと鵲《かささぎ》に似て、羽毛に文系があり、白冠で、赤い嘴《くちばし》、尾が白くて長い。渡り鳥の一種で、姿の上品な趣のある鳥です)。それが済むと次は同じく欄間で鉄線蓮唐草《てっせんれんからくさ》の図(鉄線蓮はよく人家にある蔓草《つるくさ》で、これも紋様などにして旧《ふる》くから使われているもので、大変趣のあるもの、葉は三葉で一葉を為《な》し、春分旧根から芽を出し、夏になって一茎に一花を開く。花の大きさは二寸余で、六弁のものも八弁のもある。色は碧《あお》か白、中心に小さな紫弁が簇《むら》がってちょっと小菊の花に似ているもの)、それが終ると、今度は小鳥に唐草を一組仰せつかった。この一組は二枚の処も四枚の所もあって、なかなか大きく手の籠《こ》んだもの。……これらはいずれも首尾よく納まりました。それから暫《しばら》くすると、今度は御学問所の欄間で蝙蝠《こうもり》を彫工会の方へ御命じになって、大勢で一つずつ彫れという命令。つまり合作であります。私は白蝠《はくふく》を一つ彫りました。
 これらの彫刻は掛かりの方から下絵が出ているので、そうむずかしく意匠することも入らず、得手《えて》々々に彫刻して雲形の透かしに配置したものです。何しろ宮中のお仕事ですから謹んで落ち度のないように心掛けたことでありました。



底本:「幕末維新懐古談」岩波文庫、岩波書店
   1995(平成7)年1月17日第1刷発行
底本の親本:「光雲懐古談」万里閣書房
   1929(昭和4)年1月刊
入力:網迫、土屋隆
校正:noriko saito
2007年1月8日作成
青空文庫作成ファイル:
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