き受けは致したが、何しろ押し詰まってのことでその年はどうにもならず、明けて明治二十一年、新春早々から取り掛かりました。普通、庶人の注文とは異なって、宮中の御用のことで、わけて御化粧の間の御用具の中でも御鏡は尊《とうと》いもの、畏《かしこ》きあたりの御目にも留まることで、仕事の難易はとにかく事《こと》疎《おろそ》かに取り掛かるものでないから、斎戒沐浴《さいかいもくよく》をするというほどではなくとも身と心とを清浄にして早春の気持よい吉日を選んでその日から彫り初めました。
木取りは御造営の方で出来ていて、材料はチャンと彫るばかりになって私の手へ廻されておりますので、こっちは鑿《のみ》を下せば好いわけであります。そこで彫るものは葡萄に栗鼠というので、ざっ[#「ざっ」に傍点]とした下図も廻っている。まず、従来から誰でも知っている図案であるので、葡萄は分っている。栗鼠も分っているが、栗鼠は生物で、平生《ふだん》から心掛けて概略は知っているものであるが、いざ、これを手掛けるとなると、草卒《そうそつ》には参らぬので、栗鼠を一匹鳥屋から買いまして家《うち》に飼うことにして、朝夕その動作を見るために箱の中に木の枝または車などを仕掛けてそれを渡って活動するその軽快な挙動を研究的に見究《みきわ》めなど致した上で、葡萄の中に栗鼠の遊んでいる所をあしらって図案を決め、いよいよ彫り初めたのでありました。
けれども、前申し上げた通り、私の家は手狭《てぜま》であって仕事場も充分でない。広い室といって六畳しかありませんから、其所《そこ》へ七尺からの鏡縁の材料を運んで仕事をすることは出来ませんので、仕方なく、私の実家(私は高村家の養子であることは前申した通り)の菩提寺《ぼだいじ》が浅草|松葉町《まつばちょう》にあるので其寺《そこ》の坐敷を借りることにしました。寺の名は涼源寺《りょうげんじ》といって至って閑静で、お寺のことで広々としておりますから、仕事には甚だ都合が宣《よ》い。しかし宮内省からお預かりをしている品物は、木地《きじ》とはいえ、大切のものであるから、不慮のことでもあってはとなかなか心配。それに日限《ひぎ》りもあることで、毎日|其寺《そこ》に通い充分注意を致して仕事に取り掛かりました。
仕事は私一人でなく、弟子を使い、荒彫りは自分がして、仕上げは弟子にも手伝わせ、まず滞りなく仕事を終って
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