かと思われます。で、牙は牙、木は木とその部によって部を作る時が来ることでありましょうが、その時には自《おのず》から部長というものが必要だろうと思います。会名は牙を表わし、また木を表わす必要はない。牙も木もすべてを総括した彫刻の意を全体にいい表わす会名が命《つ》けられるならば、それは甚だ結構と思います。私は木の方であって、当席に連なっておりますのですが、既に列席を致している以上、右の主意は申し上げて置きたいのであります」
という意味のことを申し述べた。
「只今、木の方の部長ということを申されたが、木の方はどういうことになりますか」
またこういう質問が出ました。
「只今も申す如く木は私一人であるから、部長も何もあり得ることではないが、段々殖えると見るべきが至当であって、入れ物だけは今日この会の成立に際して拵えて置くが順序でないかと思います。木の人員が私一人でも、既に一人はあるのである。他に今一人あるから両人《ふたり》は既にあるのである。今日の場合は部長を欠くということにして、他日殖えた場合に部長を置いたらよろしかろうと思います」
と意見を述べた。
私のこの主張は大体において人々の了解を得ました。また了解を得られたことは至当のことであったと思います。そこで、大森、塩田、前田などの学者側の人と相談をして「東京彫工会」と命名したのでありました。
内部の献立《こんだて》が悉皆《すっかり》出来上がり、会名が附いたので届《とどけ》を出し、許可になったので、その年の秋すなわち明治十九年十一月|向《むこう》両国の貸席|井生村楼《いぶむらろう》で発会することになった。
底本:「幕末維新懐古談」岩波文庫、岩波書店
1995(平成7)年1月17日第1刷発行
底本の親本:「光雲懐古談」万里閣書房
1929(昭和4)年1月刊
入力:網迫、土屋隆
校正:noriko saito
2006年12月22日作成
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