幕末維新懐古談
彫工会の成り立ちについて
高村光雲

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)種々《いろいろ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)全部|牙彫《げちょう》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)いさかい[#「いさかい」に傍点]
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 この頃になって一時に種々《いろいろ》の事が一緒に起って来るので、どの話をしてよろしいか自分ながら選択に苦しみますが、先に日本美術協会の話をしたから、引き続き、ついでに東京彫工会のことについて話します。

 東京彫工会というものの出来たのは、妙なことが動機となって出来たのであります(ちょっと断わって置きますが、その当時の彫刻家は全部|牙彫《げちょう》という有様であった)。その彫刻界に一つの刺撃が与えられそれが導火線となってこの会が起ったのであります。一方に既に美術協会が成立し、それがますます盛大になっているのであるから、この際別に彫工会というような会の起る必要を感じない訳であるが、それが出来なければならない機運となって来ました。この彫工会発会のことについては私は木彫家のことで関係は薄い。私が当面に立って立ち働いたという訳でもないのであるが、当時の牙彫界には友人の多い関係から多少助力をしたことであるからその行きさつを話して置きます。

 この事は、最初は象牙彫刻の方の人たちのいさかい[#「いさかい」に傍点]から初まる……というもおかしな話ですが、まずそういった形であった。
 当時、牙彫の方は全盛期であるから、その工人も実に夥多《おびただ》しいもので、彫刻師といえば牙彫をする人たちのことを指《さ》していうのであると世間から思われた位。この事は前に度々《たびたび》申したが、その中で変り者の私位が木の方をやっている位のものであって、ほとんど全部が牙彫であった。で、こう物が盛んで流行《はや》り出せば、何んの業にもあることであるが、その工人仲間の人々の中に党派とか流派とかいうようなものが出来て、同じ牙彫の工人の中でも、比較的上等なものを取り扱って、高尚な方へかたまっている人たちと、牙彫商人の売り物にはめて、貿易向き一方をやり、出来栄《できばえ》は第二にして、まず手間にさえなればよろしいという側の人たちと、こう二つの派に別れば分けられるといった形になって来る。前のは、なか
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