美術会という。そして長い間それが続いたのでありました。
会員の中には私がこれからお話しようと思っている石川|光明《こうめい》、旭玉山《あさひぎょくざん》、金田兼次郎、島村|俊明《としあき》の諸氏、蒔絵師では白山|松哉《まつや》などもいて、会はますます旺《さか》んとなり観古美術会を開くことになったのでありました。
観古美術会はさらに一歩進んだ形のもので、会員所蔵の逸品といっても数限りのあること故、一般に上流諸家から秘蔵品並びに宮内省|御物《ぎょぶつ》等をも拝借し、各種にわたった名画名器等を陳列し、それを一般に縦覧を許すことにしました。そうして、宮様を総裁に頂きまして、歴とした会が成立したのであった。
会場は下谷の海禅寺《かいぜんじ》(合羽橋《かっぱばし》側)、東本願寺等であった。この会は二、三回続きましたが、美術思想を一般に普及した功は多大でありました。
こんな有様で、竜池会から出た日本美術協会の年中行事として観古美術会の会員はますます殖《ふ》え、大分工人側の人たちも這入《はい》って来たのでありますから、会員の意見の交換などしばしばある中に、従来の如く、単に古いものばかりを出陳
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