人手に渡すことになりました。栄吉氏の弟に豊次郎という人があったが、これは早世《そうせい》しました。妹のかね子という人は、女ながらなかなか確《しっ》かりした人で、仕事も出来、手もよく書き貞女にて、千住中組《せんじゅなかぐみ》の商家に嫁《とつ》ぎ、良人《おっと》の没後|後家《ごけ》で店を立派にやって行き、今日も繁昌致しおります。
二代東雲の栄吉氏の子息は、祖父東雲師の技倆をそのまま受け継いだようになかなか望みある人物であります。これは私の弟子にして、丹精致しまして、目下独立して高村晴雲と号しております。三代目東雲となるべき人であります。ただ、惜しいことには、健康すぐれず、今は湘南《しょうなん》の地に転地保養をしておりますが、健康|恢復《かいふく》すれば、必ず祖父の名を辱《はず》かしめぬ人となることと私は望みを嘱しております。
さて、また、彼の金谷《かなや》おきせさん(東雲師末の妹)は良人没後再嫁し、娘が出来ました。その娘が金物商《かなものしょう》中山家へ縁附きました。中山氏は北海道|樺太《からふと》地方に事業を起し、今日では樺太屈指の豪商となっている。で、その弟息子に金谷の家の跡を襲
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