と、また呼び出される。今度は別の男が行く。同じことを注意されると、畏《かしこ》まりましたで引き退《さが》る。また呼ばれるとまた別の男が出る。その不得要領《ふとくようりょう》の中に縁日は済んでしまうのだそうです。
仲橋広小路の市は、ちょうど鰌屋《どじょうや》の近辺が一番賑やかであった(江戸の名物鰌屋は浅草の駒形、京橋で仲橋、下谷で埋堀《うめぼり》、両国で薬研堀この四軒でいずれも鰌専門で汁《しる》と丸煮だけである)。仲橋は下町でも目抜きの場所であるから、市などの景況も下町気分で浅草とはまた変った所がありました。
歳の市は飾り松、竹、〆縄《しめなわ》、裏白《うらじろ》、橙、ゆずり葉、ほん俵、鎌倉|海老《えび》など、いずれも正月に使用するものですから「相更《あいかわ》らず……」といって何事も無事泰平であるように、毎年同じ店で馴染《なじみ》の客が同じ品を買うという習慣などもあった。それでも、海老などは気合ものの方に属し、形の大小、本場のよしあしなどで時々の相場があって、品ふっていになると、熊手の売り方と同じように買い手の慾《ほ》しがる大きさのを一つ位ほん俵の上などにとまらせて、客を引いたりして、これにもなかなか掛引があるのだということです。
私の父はこういう縁日|商人《あきんど》のことについてはなかなか詳しく、自分もまた若い時は自ら手を下して地割などのことにも関係したので、時々他の縄張りのものとの間に出入りを生じ、生命《いのち》の遣《や》り取りというほどのことには至らなくても、際《きわ》どい喧嘩場などに一方の立物《たてもの》となったりしたことがあります。上野の三枚橋を中にして、双方が睨《にら》み合ってる中に、父の弟分なり乾児《こぶん》なりであった肴屋《さかなや》の辰《たつ》という六尺近くもある大男の豪のものが飛び出して、相手を一拉《ひとひし》ぎにしたので、兼松の名が一層仲間のものに知られたという話もあります、こんな話は数々あるがまず略します。
底本:「幕末維新懐古談」岩波文庫、岩波書店
1995(平成7)年1月17日第1刷発行
底本の親本:「光雲懐古談」万里閣書房
1929(昭和4)年1月刊
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:網迫、土屋隆
校正:noriko saito
2006年
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