幕末維新懐古談
歳の市のことなど
高村光雲
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)歳《とし》の市《いち》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)縁日|商人《あきんど》
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それから、もう一つ、歳《とし》の市《いち》をやったことがあります。
歳の市の売り物は正月用意のものです。父の売ったものはこれは老人自身のひと趣向なので巾八寸位の蒲鉾板《かまぼこいた》位のものに青竹を左右に立て、松を根じめにして、注連縄《しめなわ》を張って、真ん中に橙《だいだい》を置き海老《えび》、福包み(榧《かや》、勝栗《かちぐり》などを紙に包んで水引《みずひき》を掛けて包んだもの、延命袋《えんめいぶくろ》のようなもの)などを附けて門《かど》飾りにしたものです。
これは、大小拵えた。ちょっと床《とこ》の間《ま》などに置いても置かれるもので、どっちかといえば待合式《まちあいしき》のもので待合の神棚とか、お茶屋の縁喜棚に飾ると似合わしいものです。
歳の市の方は酉の市とは違い、景気附け一方でする気合い商売でないからです。つと質素になります。縁日|商人《あきんど》の方で、「流れ」ということをいいますが、これはチラリホラリ見物の客が賑やかな場所から静かな方へ散って来るはずれの場所に店を出して客の足を留めるので、飴屋《あめや》などはこの「流れ」の方のものに属するのだそうです。
「大流れ」というのは、さらに離れてポツンと一つ店を出して置くなど、なかなか、こういうことにも、気を働かさねばならないものと見えます。父のやった門飾りの売り物なども流れの方へ属したやり方でありました。
歳の市は浅草観音の市が昔から第一、その次は神田明神の市、愛宕《あたご》の市、それから薬研堀《やげんぼり》の不動の市、仲橋《なかはし》広小路の市と、この五ヶ所が大きかった。
薬研堀と、仲橋広小路の市は、社寺の境内でなく、往来に立ったのだから、その地割《じわり》がその筋でやかましく、いろいろ干渉されますので、土地の世話役は旨《うま》く極《き》め合いを附けるのが骨が折れたものです。
それは往来の許す限り大小店が数多《あまた》出来て、自然往来へはみ出すからです。警察がやかましく、世話役を呼びつけ、彼所《あそこ》をもっと、どうかしろと、棒を出すと、ハイハイといって置いてそのままにして置く。する
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