ました。この人は以前蔵前の師匠の家にいた当時、あの珊瑚樹に黒奴のとまっている仕事をたのまれた関係で、旧知の人でありますから、久しぶり対面しますと、「一つ木彫りをお願いしたい」ということである。今時分木彫りをわざわざ頼みに来るのは不思議のようであるが、この沢田は貿易物の他に、地《じ》の仕事をも請け合うのですから、私に木彫りを頼みに来たのであった。布袋《ほてい》を彫ってくれ、というので、早速私は彫りはじめたが、この製作は、私がいろいろ西洋彫刻のことにあこがれ、実物写生によって研究努力した後の木彫りらしい木彫りであったから、私も長々研究の結果によって充分心行くような新しい手法をもって彫り試みたことであった。もっとも、図は布袋であるが、従来の仏師の仏臭を脱した一つの行き方をもってこの布袋を彫り上げたのであった。
そこで、沢田へそれを届けると、何金《いくら》お礼をしたら好いかという。製作の日数の掛かっただけ一日一円という割にして私は報酬を貰い受けた。
その次は魚籃《ぎょらん》観音を一体、それから三聖人(三つ一組)を彫った。これらも実費だけを受け、決して余計な報酬を得ようとはしなかった。それで沢田は気の毒がって、
「それでは、手間が掛かる一方で、とてもお引き合いにはならんでしょう」という。
「いや、まずその日の生計《くらし》が家業をこうしてやっていて行《や》って行けるのだから文句もありません」
など答えると、沢田は、
「それは、そうでしょうが、あなたが、もし、象牙をおやりなさると、そりゃ、立派な手間が払えますのですが……こちらも商売ですから、見す見すあなたがお手数をかけて下すったものでも、木彫りでは儲《もう》けが薄いので、碌《ろく》な手間をお払い出来ません。手間が細かくって、手数ばかり掛かる木彫りよりか、一つ、どうです。象牙の方をおやんなすっちゃ……」
など、親切にいってくれますが、私はぶきようで象牙などは到底彫れませんと断わり、碌にその方の話の相手にはならず逃げておりました。
その後、或る日のこと、沢田の奉公人が、風呂敷に二尺五、六寸ほどもある長い棒を包んだものを持って来ました。
「これをお預かり下さい。後刻《のちほど》主人が参りますから」
そういって帰って行きました。
私は一目見て、その風呂敷の中には、何が這入《はい》っているかが分りました。それは無論象牙の材で
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