易品にそっくり適《はま》ったのでありますから、それはまことに素晴らしい勢いとなった。つまり、象牙彫りは見る通り、美しくて可愛らしく、それになかなか精巧な細工が出来て、大人《おとな》の玩弄《おもちゃ》には持って来いのように出来ているものであるから、西洋人の眼にそれが珍奇に見えて購買慾をそそられたのは道理《もっとも》のことと思われる。
 けれども、まだ、明治八、九年の頃は牙彫りの流行も微々たるもので、根附師《ねつけし》が二寸か三寸位の大きさのものを彫っていた位、もっとも材料に制限があることとて、三寸か三寸五分位の大きさが頂上で、五寸とあるのはなかなか無かった。それは、象牙木地は大部分は三味線の撥《ばち》に取って、その後の三角木地を根附師が使ったものであるからである。で、十年の博覧会に出品された象牙彫りの作品もかなりはあったが、まだまだ大きさも小さなもの、図柄なども、貿易商人の好みのままに、乗合舟《のりあいぶね》、鳥追《とりおい》、猿廻《さるまわ》しなど在来の型の通りで、中には花見帰りの男が樽《たる》の尻《しり》を叩いて躍っている図などもあったが、一般にまだ極《ごく》幼稚でありました。
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