、増減自在でかつ幾日経っても軟《やわ》らかなままであるという「脂土」のことを考えると、どうも、その土が至極のものと思われる。
「どうだろう。その脂土というものは売り物はないだろうか」
こう私はその話をした人に聞きますと、
「そりゃ、売り物にはないだろうが、工部学校から、どうかすれば出ないものでもあるまい、しかし非常に高価なものだそうだ」
「高価といってどの位するものだろうか」
「一寸四方一円位だそうな」
「なるほど、それは高い。とても我々の手にはまあ這入《はい》らない」
私は残念ながら、こういうよりほか仕方がありませんでした。が、どうも、その土のことが気になってしようがありませんでした。
その後、或る日、工部学校の前を通り、ふと見ると、お濠《ほり》へ白水が流れている。
「アア、これだ、これが石膏というものだな」と私は思いました。
それで、またその石膏が脂土と同じように私の憧《あこが》れの種《たね》となりました。
さて、私はこうして一方には西洋彫刻のことに心を惹《ひ》かれ、一方では自然の物象について独《ひと》り研究しつつ、相更《あいかわ》らず師匠の家に通って一家の生計をいそしんでいる中《うち》、前述の横浜貿易がこの一、二年間位の中に恐ろしい勢いで盛《さか》り出して来ました。
師匠の許《もと》へは米沢《よねざわ》町の沢田という袋物屋から種々《いろいろ》貿易向きの注文が来て、その方がなかなか多忙《いそが》しくなる。今までは仏様専門であったが、今は不思議なものを彫る。たとえば、枝珊瑚樹《えださんごじゅ》を台にして、それに黒奴《くろんぼ》が大勢遊んでいるようなものを拵《こしら》える。枝珊瑚の根の方を岩にして、周囲《まわり》を怒《いか》り波《なみ》と濤《なみ》とを現わし、黒奴が珊瑚の枝に乗って喇叭《らっぱ》を吹いているとか、陸に上がって衣物《きもの》をしぼっているとか、遠見をしているとかいう形を作る。それは黒檀《こくたん》で彫るので、珊瑚の赤色には好《よ》くうつるので、外国人向きとしてなかなか評判よろしく能《よ》く売れるという。それで職業的にはまずこうしていても生活の助けとはなるが、しかし、私の実物写生の研究と西洋彫刻に対する憧憬《どうけい》は少しもゆるみはせず、どうかして、一新生面を展《ひら》きたいものである。このまま、こういうことばかりしてはいられないという不
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