なった(その頃は貿易といわず交易といっていた)。しかし、従前通りの手法《やりかた》で仏様を長くやっていたこと故、その習慣上貿易品向きのものを製作するとしても、どうしても仏様臭くなってしようがない。仏様を作るには仏様臭いのは仕方もないが、貿易品的のものに仏臭のあるのは面白くない。どうかしてこの仏臭を脱して写生的に新しくやって見たいものだということが私の胸に浮かんで来ました。
 もっとも、この考えは今さらのことでなく、私の年季中から既に芽差していたことで、何かにつけ心掛けてはおりましたが、いよいよ社会の要求に駆られるようになって見ると、事実その写生的に行く方のやり方を実行して見たくなったのであります。すなわち、私自身としては自分の製作の態度や方法を一変して新しくやって見ようという心を起したのであります。
 そこで、まず差し当っては、何をその研究の資料にするかというと、従来のお手本とは全く違った方面のもので、たとえば、西洋から輸入して来たいろいろの摺《す》り物、外字新聞の挿画《さしえ》のようなものや、広告類の色摺りの石版画《せきばんが》とか、またはちょっとした鉛筆画のようなもの、そういうものが外人との交際の頻繁《ひんぱん》になるにつれて所在にそれがある。それを、いろいろの機会に見附け次第、買ったり借覧したりして見ると、どうも私の脳《あたま》がそれに惹《ひ》き附けられ、また動いて来る。というのは、在来の彫刻の手本にした絵とか彫刻の手本とかいうものとはよほど異なった行き方であって、動物でも、草木、花、物品、すべてのものが真に迫って実物に近い。それはほとんど実物そっくりといってもよろしい。犬一匹|描《か》いてあってもどう見ても本物である。特にその毛並みのやり方が目に立って旨《うま》く出来ている。従来の彫刻の方でやる毛の彫り方は、まるで引ッ掻《か》いたように毛が生《は》えているという心持だけを肉の上へ持って行って現わすのであるが、西洋の絵は、毛は毛で、皮膚の上へムックリとして被《おお》いかぶさり、長い処、短い処、渦《うず》を巻いている処、波状《はじょう》になった処、撥《は》ねた処、ぴったりと引っ附《つ》いた処と、その毛並みの趣が、一々実物の趣が現わされている。それを私は見ていると、どうしてもこの西洋の絵画の行き方のように彫刻の方でも工夫をしなければいけないということを私は考えまし
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