行きたくなりました。
 と、いって、私は、よし、その現場へ飛び込んだにしろ、その急場を扶《すく》うには是非入用な金銭を持っておらぬ。私に金銭などのある時節でありませんから。けれども、そんなことは問題ではない。何んでもあれ、とにかく、その場へ行って見なければ気が済まないので、私は立ち上がりました。
 そして師匠の妻君へ、理由を話し、ちょっとの暇を下さいと申した。すると、妻君も驚いた顔をして、それでは行ってお出《い》で、師匠が帰ったら、その事を話すから、という。では、どうかそう願いますと、私は師匠の家を飛び出しました。

 駒形から、枕橋までは、どれだけの道程《みちのり》でもない。私はドンドンと走って行く……
 その間にもまた考えましたことは、こんな独断《ひとりぎめ》なことを師匠の留守にして、もしや、師匠が帰って、馬鹿な奴だといって叱《しか》られるか知れない。というような心配を繰り返しましたが、叱られたらそれまでのことだ、ともう度胸も据《すわ》ってしまって、私は間もなく下金屋の店へ行き着きました。
 それから、私が、下金屋の主人と仲間とが三、四人一緒になっている前へ行って、私の来意を語り終るまでには、随分|間《ま》の悪い思いをしました。というのは東雲師自身がやって来たのなら話になるが、弟子の私では先方の信用がさらにないからです。先方は何んだか面倒臭そうに、いくらか軽蔑《けいべつ》したような顔をして碌《ろく》に話しを聞いてもくれません。けれども、私は、そんなことに閉口《へいこう》してはいられない場合ですから、ただ、もう百観音の運命が気掛かりでたまらないのですから、こう主人に話し掛けました。
「……とにかく、私に、あの俵の中のお姿を二、三体見せて下さい」
 すると、そんなことをされていじくら[#「いじくら」に傍点]れちゃ、仕事の邪魔になって困るという顔をしている。中には、見るだけなら見たって好《よ》かろう、と口を添えてくれたものもあった。私は彼らの返事は碌にも聞かず、もう脚《あし》がずんずん俵の傍に寄って行き、手は早くも荒縄を解いていました。
 ところで、私の考えでは、この百観音の中に、優《すぐ》れたものが五、六体ある。それを撰《え》り出そう。まずそれを撰り出すことが何よりも肝腎だ、とこう思いましたから、あっち、こっちと俵の縄をほぐしては調べて行くと、かねて目を附けているものが出て来る。
「オオ、これだ」
と私の悦びは飛び立つ位。胸はどきどきします。また、別の俵を開《あ》けて見ると、天冠、台坐が脱《はず》れ、手足などが折れたりしたなりで出て来る。
「オオ、これだ。此処《ここ》にもあった」
と、私はその都度張り合いになって、一生懸命に探《さが》し廻る。
 私の見附け出した観音様の中には、細金《ほそがね》の精巧なものがある。これは京都仏師|七条左京《しちじょうさきょう》の作。または天狗長兵衛と綽名《あだな》のある名工の手の籠《こ》んだ作がある。それから羅漢仏師松雲元慶禅師の作がある。けれども、それらが御首《みぐし》や、手や脚や、台坐、天冠などが手荒らに取り扱われたこととて、ばらばらになっているのを、私はまた丹念に探し廻って、やっと、どうにか揃えました。
 そうこうしている中《うち》に、午《ひる》になる。私がこうやって五、六体を撰り出したことには理由《わけ》のあることだ。それはどうにかして、これだけは焼いてもらわない算段をしようというのである。師匠が帰って来るまで、とにかく、一時手をひかえてもらおうという決心である。で、その旨を先方に話すと、先方は、いじくり廻された上に、こんなことを掛け合うのですから、さらに嫌な顔をしている。
「そんな悠長《ゆうちょう》なことはいっていられない。私たちはこれから焼こうというのだ。飛んだものが飛び込んで仕事の邪魔をして困るじゃないか。おい。そろそろ仕事に掛かろうじゃないか」
「まあ、そういわずに、この撰り出した分だけは手をつけずに置いて下さい。お願いですから」
など、押し問答している所へ、天の祐《たす》けか、師匠の姿が見えました。
「師匠が来た。まあ、よかった」
と思うと、私は急に安心しました。
「幸吉か、お前よくやって来てくれた。俺も心配だから飛んで来たんだ。家《うち》で様子を聞くと直ぐに……」
 師匠は私にそういってから、下金屋と挨拶《あいさつ》をしている。かねてから、下金屋は師匠を能《よ》く知っているので大変丁寧になる。
「先刻《さっき》からお弟子さんがやって来て、大分撰り出しましたよ」
などいっている。
 私は師匠に、名作の分だけ五、六体は撰り出したことを話すと師匠が、
「幸吉、もう好《い》いにしようよ。そんなに買い込んだって売れやしないぜ。お前の撰り出した名作五体だけにして置こう。後《あと》は残念な
前へ 次へ
全3ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
高村 光雲 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング