円でお払いを済ましたようなことがありました。亀岡氏は、師匠生前|永《なが》の歳月を丹精して集められたもの故、自分はこれを神仏へのお賽銭《さいせん》に使用するつもりである。師匠の供養ともなるであろうと申されていたのを聞いて、私は涙ぐましく思ったことがありました。
 師匠の仮初《かりそめ》の楽しみが、偶然葬式の料となったことなども考えて見れば妙なことと思われます。

 また或る日のこと、亀岡氏は私に向い、
「師匠没後の高村家の一切は、君が当面に立ってやってもらわねばならぬ。この事も未亡人にも私から話してあるから、そのつもりで万事を遠慮なくやってくれるよう。政吉はあの通りの人であるから、決して当てにせぬように」
との事であった。そして亀岡氏は高村家のために或る組織の下に店の業務を取り計らおうなどいわれたこともあったが、そういうことは私などもまだ智識が足らぬ時分で能《よ》く分りもせず、そのことはそれ切りで実現はしませんでした。そして私は寿町《ことぶきちょう》の宅から(堀田原から寿町へ転居)毎日通い、仕事の方のことをやっておったのでありますが、いかに私が表面に立って師匠没後の仕事を取り扱う責任を
前へ 次へ
全7ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
高村 光雲 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング