を引き取られると、直ぐにその番頭さんが駈《か》け附けて参り、間もなく報《しら》せによって彼《か》の高橋定次郎氏も駈けつけて参られた。奥の人たちはただ泣くばかりで、私たちは途方に暮れたことであった。

 ここで、順序としてちょっと私の兄弟子|三枝松政吉《みえまつまさきち》氏のことをいわねばならぬことになります。この人は下総《しもうさ》の松戸《まつど》の先の馬橋《まばし》村という所の者で、私より六ツほど年長、やっぱり年季を勤め上げて、師匠との関係はまことに深いのでありましたが、どういうものか、師弟の情誼《じょうぎ》はまことに薄いのでありました。それはどういう訳であったか、つまり気が合わぬとか、性《しょう》が合わぬとかいうのであろう。何かにつけて師匠が右といえば左といい、西といえば東というという工合で、どうも師弟の仲が好くないのでありました。
 政吉という人は、別に深く底意地《そこいじ》の悪いというほどの人ではないが、妙に大事の場合などになるとその時をはずしていなくなったりして、毎度、急《いそ》がしい時などに困らされたものでありますが、そういう時にも師匠は寛大な人ゆえ、あれは、ああいう男だと
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